(6)「まぎらわし行動」による感情抑圧

 ある時、「子どもの爪噛みがひどい」と相談を受けた。「なくて七癖」という諺があるぐらいだから、癖ぐらい誰にでもあるものだ。特に子どもの癖は、一過性のものが多く、親があまり気にしない方が良い場合が多い。ところが相談のケースは、限度を超えていた。両手の指は、爪噛みによる深爪で血が滲んでいる。噛む爪がなくなると、今度は、足の爪をかじりはじめる。見るに見かねてやめさせようとすると、大暴れのかんしゃくを起こす。「こんな状態でも、気にしてはいけないのでしょうか」という相談だった。
 爪噛みがひどいのは、朝、幼稚園に出かける時や、園で友達の輪に入れず、一人でぽつんとしている時などだという。「緊張しやすい子なので、幼稚園がストレスなのだと思いますが」と母親。しかし不思議なのは、幼稚園から帰ってきて、家でビデオを見ている時などにも、爪噛みがひどいそうだ。これは、いったい、どういうことなのだろうか?

 爪噛み、指しゃぶり、髪を引き抜く、性器をいじる、体を掻きむしる、物なめ、歯ぎしり等々、限度を超えた癖をもつ子どもの多くには、感情抑圧傾向が見られる。特定の儀式的な行動パターンへのこだわり、特定の物やおっぱいなどへの固執、四六時中食べ続けるといったケースもある。これらの行動はすべて、特定の身体感覚に没入することによって、気持ちをごまかそうとする“まぎらわしの行動”なのだ。そのため、通常なら泣いたりダダをこねたりするような場面で、気になる癖が出ることが多い。
 こういったタイプの子どもは、ひとつの行動を禁じると、別の“まぎらわしの行動”に移行してしまうだけだ。爪噛みを厳しく叱ると、今度は、自分の髪を引き抜くようになるなど、もっと困った癖が出現してしまう。しかし、こういった子どもも、「幼稚園に行くのは嫌だ!」と登園時にダダをこねたり、友達の輪に入れない時は「先生と一緒がいい!」と甘えられるようになったりすると、自然に癖は消えていくことが多い。
 では、ビデオを見ている時の爪噛みは、どういうわけなのだろうか。この子どもの場合は、カウンセリングが進んでいくうちに、「本当は、ビデオを見たいわけではない」という気持ちを抱えていたことがわかってきた。本当は、幼稚園は大変だとダダをこねたり、母親に甘えたりしたかったのだが、それを無理に我慢していたのだ。

 ひどい癖なら注目されやすいが、ビデオ視聴のように、一見、合理的な行動が“まぎらわし”の手段になっている場合は、それとは気づきにくい。絶えず動き回ることによって、気持ちを押さえ込もうとしている子どもと、本物の「行動的な子」。一方的にしゃべり続けることによって、ホンネの気持ちを隠そうとしている子どもと、本来の個性として「話し好きな子」。その差異を示すサインはとても微妙だ。
 自由に行動しているにもかかわらず、ため息をつくなど、なんとなく不機嫌だったり、逆に、妙にハイな状態であることもある。生き生きとした子どもらしい躍動感が感じられない、同じパターンを繰り返すなど活動が非建設的、反対に、次から次へと刹那的に活動の対象を替えるような場合もある。何より顕著なサインは、体の過緊張状態がどんどん進行していくことだ。これさえも、慣れた目でないと見抜きにくいかもしれないが、極端なくすぐったがり屋は、その表れであることが多い。
 それが“まぎらわし”であったとしたら、気持ちの発散・表現が上手になるにつれ、落ち着きが出てきたり、人の話が聞けるようになったりという変化が出てくる。多くの親は、この段階になって初めて、「ああ、あれは本来の個性からの行動ではなく、まぎらわしにすぎなかったのだ」と実感するのだ。

 もっとも、“まぎらわし”をすべて悪だと決めつけることはできない。ビデオに逃げ込んでいるうちに、いつの間にかその世界に精通し、やがて映画監督として名をあげる人もいるだろう。しゃべり続けることで不安をまぎらわすうちに、話すことが得意になり、やがてお笑い芸人として脚光を浴びるようになった人もいるはずだ。実際、TVで活躍している芸人さんの中には、「本来は、とても緊張しやすい人なのではないだろうか」と思われる人も少なくない。
 「こだわりの強い子ども」という表現は、否定的な意味で使われることが多い。しかし、クリエイティブな分野で活躍している大人などに対して「こだわりの人」と表現する時は、賞賛の意味で使われる。つまり、こだわりは長所にも短所にもなりうるのだ。
 また大人の場合、ビデオを見たり、運動をしたり、人と楽しくおしゃべりしたりすることによって、ストレスを解消することがある。それらの行動も、ストレスの核心であるマイナス感情そのものに目を向けていない点からすれば、まぎらわしの行動の一種だろう。しかし大人の場合、子どもとは違い、泣いたりダダをこねたりといったストレートな気持ちの発散方法はなじまない。したがって、大人にとって“まぎらわし”行動は、ストレス・コントロールのために不可欠な手段と言える。

 ところが小さな子どもの場合は、“まぎらわし”行動が、知的な発達に深刻なダメージを与えることがある。それは、泣く・ダダをこねる・甘えるといった行動が、コミュニケーション技術の基礎を作る役割を果たすからだ。


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