★トッキーと歩んできた道★(ちえのすけさん)

●はじめに
 
私が抱っこ法にめぐりあったのは、息子が1才2ヵ月の時でした。母乳大好きだった息子が、いきなり母乳を拒否しだしたのです。慌ててかかりつけの桶谷式おっぱいマッサージに駆け込み、、マッサージをしてもらったのだけれど、息子のお乳拒否は変わりませんでした。一般的には断乳してもいい年令だけれど、私はもうすこしお乳を飲ませたかったし、何より私の乳首をそっくりかえって拒否する息子に、自分が拒否されたような言いしれない寂しさを感じて、母乳育児のサイトの掲示板にそのつらさを切々と訴えました。
するとあるかたから、「抱っこ法」というものがあると知らされ、ぴっかりさんのサイトを紹介されたのです。それが私と息子を救う救世主になろうとは、あのとき思いもしませんでした・・・。


●生まれた頃のこと

「ヘソの緒が赤ちゃんにからまって、心音が下がっています。このままでは赤ちゃんが危ない、緊急帝王切開します」
 夜中のおしるし。それからすぐに押し寄せてきた3分間隔の強烈な陣痛。入院してから数時間後の真夜中の手術。育児書のマニュアルを完全無視した私のどたばた出産でありました。待ちに待ったわが子、トッキー出生。2378グラム。39週までお腹にいたわりには小さめ。肺に胎便を吸い込んで呼吸が苦しそうだったわが子。出産した病院には小児科の医師がいなくて、急きょ、都立の大きな小児病院に搬送され、彼は私より長い2週間の入院生活を送りました。

 離ればなれの日々はつらかったけど、彼は小さめながらも食欲旺盛。ミルクもいつも、もっとよこせと泣きわめき、看護婦さんを困らせるほどの元気ぶり。退院する時には、先生に、「もう大丈夫です。普通のお子さんを育てるつもりで育児してください」と言われたものでした。

 息子トッキーは、本当に「手のかからない」赤ちゃんでした。最初のころは、お乳をうまく飲めずに、しょっちゅうお乳を欲しがって泣いていました。でも3ヵ月目くらいからは、次の授乳時間までぐっすり寝ていてくれました。未熟児だった身体もみるみるうちに丸々としてきて、あっという間に取り戻し、よく飲み、よく寝て、いったん寝てしまえば布団におろしてもぐっすり。本当に手のかからない子どもだなあと、ありがたく思ったものでした。

 本当に手のかからない息子。でもだからと言って、私が息子トッキーをかまわずにほおっておいたわけではありませんでした。30才をすぎて結婚し、欲しくて欲しくて待ちに待っていた念願のわが子。年令のせいもあるのか、遊びに全く未練はなく、ただ毎日の育児が、わが子を見ていられることが楽しくて仕方なく、私は育児に夢中でした。自分のことにはいっさいかまわず、ただ子どものことばかり。読むものといえば、育児書と赤ちゃん用品カタログ。買うものといえば子どものものばかり。

トッキーが起きている時は、よほど忙しくない限り抱き上げ、あやし、話しかけ、歌を歌い、まさになめるようなかわいがりようでした。旦那もそうでした。写真好きの旦那は、毎日フィルム1本ぶんの写真を撮っていました。すぐ近くに住む義父母にとっても、はじめての内孫。しかも跡取り息子(旦那は長男なので)ということで、可愛さひとしお。目に入れても痛くないほど可愛がってくれました。息子は我が家の希望の星だったのです。


●生後3ヵ月の頃の不安

 私がトッキーの「違い」に気づいたのは、3ヵ月検診の時でした。
 私がトッキーのおむつを替えていた時、すぐ隣のママも同じようにおむつを替えていたのだけれど、そのママは赤ちゃんとにっこりとほほえみあい、かなり長い間そうしていたのです。私はわが子をみてみました。あちこちきょろきょろとして、あまり私を見ません。「あれ? うちの子、あまり私と目が合わないみたい・・・」それが最初に感じた不安でした。

 「きっと出産のあとに離れていたせいだわ!」 私は、わが子がサイレントベビーかもしれないと思いました。なんといっても、産後2週間離ればなれだったのです。さぞや寂しい思いをしたに違いない・・・。それからの私は、前にも増してスキンシップにとりくみました。家事をする時は、できるだけおんぶ。お出かけの時は、A型ベビーカーを使わずに抱っこ。話し掛け、絵本の読み聞かせ、おもちゃを使ってあやしてみたり、いないいないばあをしてみたり。私はわが子に、自分のほうを見てほしくて、母子の絆をより強くしたくって必死でした。
 風邪もほとんどひかず、すくすくと育っていくわが子。でも私の頑張りにもかかわらず、相変わらず息子は、あまり私を見ようとしません。そばで大人があやしてやるよりも、指しゃぶり、がらがらやプレイジムなどのおもちゃがお気に入りで、ひとりで遊んでいることのほうが好きなように見えました。

 私はちょっぴり不安になり、あちこちに相談しました。市の保健婦さん、おっぱいマッサージの先生、検診の時の育児相談・・。でも、どこでも返される返事は同じ。「お母さんが心配しすぎです。ちゃんとママのこと、見ているじゃないですか」「場所が変わると珍しいのでしょう。気にしないことですよ」 確かに、私を見ている時が全くないわけじゃなかったし、私が抱くと泣きやむし、後追いも人見知りもそれなりにあり、私を見て笑う時もよくありました。個性なのかしら・・? 初心者ママの私は、専門家たちの言葉を信じるしかなく、でも何か漠然とした不安がぬぐい去れないでいました。

●1才。あれあれ・・?

 私が息子の発達の遅れに、はっきりとした不安を抱き始めたのは、1才を過ぎてからでした。
 母親学級で出会ったママ友達たちは、時おり会うたびに、お互いの子どもの成長ぶりを話します。「ちょうだいって言うと、物をくれるようになったのよ~」「テレビの音楽に合わせて、手を動かして踊るのよ」「欲しい物は、どんどん指さすようになったのよ」「簡単な手遊びをしてやると、大喜びしてマネするの」「他の子どものところへ行きたがって、大暴れするのよ」・・・あれ? うちの子、何もできない・・・。

その頃、息子が夢中だったのは、プレイジム、がらがら、指しゃぶり。そのへんにあるもの手当たりしだい、積み木でも何でもなめたり、かじったり。おもちゃをそれらしく扱うことが少なく、遊びが発展していきませんでした。人まねをすることがなく、手遊びなど手をとってやらせようとすると振払ってしまう子どもでした。ビデオはあまり見せないようにしてたけど、好きだったようです。でも、じっと見つめるだけで、一緒に踊ろうとはしませんでした。
あまり、よその子どもに興味を示すことがありませんでした。ベビーカーで出かけると、よその赤ちゃんは、すれちがう時に息子のことをじっと見ているのに、息子は指をしゃぶって知らん顔。よその子どもを嫌がるわけではないけど、一緒にいて楽しいと思うわけでもなさそうでした。

 私は寂しい気持ちでした。おつむてんてんも拍手もできず、いわゆる「赤ちゃんらしい可愛いしぐさ」のない息子。「一緒に遊ぶ」ということができず、ひとりで黙々と遊ぶ息子を、私は黙って見ているしかありませんでした。それでも、まだ小さいことだし、この子の個性だと思っていました。私がいなくて泣くことだってあったし、眠る時は私じゃないとダメだし、この子は私を求めてくれているという実感がないわけではなかったし・・・。

その頃私は、息子がなかなか歩かないことのほうが心配だったのです。寝返りが8ヵ月、はいはいが1才、つかまり立ちが1才2ヵ月と、どうみてもあまり早いほうではありませんでした。つかまり立ちとはいはいが長くて気をもみましたが、結局歩いたのは、なんと1才8ヵ月。それも前日までひとりで立つこともできなかったのに、歩き出したら、まるで昨日まで歩いていたかのように、すたこらさっさ。歩くことへの心配は一日にしてなくなり、あれほど心配していたのが嘘のように活発に歩きまわるようになりました。
そして知的な発達の遅れ、この心配だけが私を悩ますこととなりました。


●恐怖の1才半検診

 息子もどんどん成長し、1才半の検診のお知らせが保険センターから来ました。中には当日持参する問診票が入っていました。それを見てびっくり!息子にはできないことばかりなのです。
 意味のあることば5つ? 積み木を3個積む? 車などの絵を見せて「車どれ」というと指さす? クレヨンでなぐりがきをする? 名前を呼ばれたら手をあげて返事をする?
どれもできないことばかり・・・。私はがく然としました。え~?これくらいできるようになってなくちゃいけないの? うちの子って・・遅れてるの?
それが私が息子の遅れを自覚するきっかけでした。

でも当日、よそのお子さんを見ても、正直、息子とそれほど違うようには見えませんでした。しゃべるのが遅い子どもは何人かいたようでしたし・・。私達は普通の検診の後で個別の指導を受けました。その時は「よそのお子さんのことや、指導員のことを気にして見てますから大丈夫でしょう。日常のなかでの関わりを大事にしてあげてください」と言われました。

 検診をきっかけに、市の保健センターの発達の遅い子どものための「Kクラブ」に月一度通いました。そこで知り合ったママから、「自閉症」という言葉を聞き、何かなと思ってネットで調べてみました。
えっ・・・うちの子にあてはまることばかり・・。言葉の遅さ、遊びが発展していかない、模倣性がない、周りの子どもにあまり関心を示さない、ドアの開け閉めなどに「こだわり」を示す、皆あてはまることばっかり・・・。トッキーは「自閉症」なの? でも私を見て笑うこともあるし、きっと違う・・違うに違いない、違うと思いたい・・・誰かに違うといってほしい・・。

この頃私は、息子と二人っきりで一緒にいることが、なぜか苦痛で仕方ありませんでした。私よりビデオに夢中。私を見るのは、ビデオが終わって取り替えて欲しい時ばかり。ビデオは言葉の発達によくないと分かっているものの、見せなければ怒って泣いてしまうし、関わりをもって遊んでやろうとしても、息子は私のやることにはさっぱり興味をもとうとせず、ひとりでおもちゃをなめたり、かじったり。一緒に遊ぶことが、全くできませんでした。
 「できるだけかかわってあげてください」先生はそう言ったけど、張り合いのない息子にどう働きかけていいのか・・・。そんな息子とのつきあい方が全くわかりませんでした。「何かしてやらなくてはいけない・・でも・・何をしたらいいの?」親としての義務が、私に重くのしかかっていました。
 外に出ればビデオを見なくて済む! よそのお子さんの様子も、刺激になるに違いない! だから極力外出、外出ばかりしていました。ベビーカー稼働率100%。たとえ自分がだるくても調子が悪くても、晴れれば公園、雨なら近所のデパートの赤ちゃん広場。たっぷりと遊ばせて、ぐっすりと昼寝をさせること。毎日そればかり考えていました。

 息子が寝ている時間は、私の心も安らいでいられました。外出の疲れでくたくたでしたし、眠っていればビデオを見なくて済んだからです。さいわい、いつも3時間は眠ってくれる子どもなので、私は食事のしたくにパソコンにと充分に息抜きができたし、疲れている時は、自分も一緒に昼寝を楽しめました。でも本心は、息子の寝顔を見ながら詫びる日々でした。「あなたのために、何をしてやったらいいのか分からないの。どうしたらママのほうを見てくれるのか分からないの。もっと向かい合ってあげたいのに、つらくてそれもできない。ママは毎日、おまえを外に連れ出しているだけだね。何もしてあげられなくてごめんね・・・」
 不安で悩み始めた私、息子が1才8ヵ月の時に、思い切って1度、抱っこ法の援助を受けてみることにしたのです。


●ぴっかりさんの援助のセッション(息子1歳8ヵ月)
 (現在のぴっかりさんは、自宅の相談室でのセッションしかしていません。しかしこの頃のぴっかりさんは、少し時間に余裕があったことと、たまたまいろいろな偶然が重なって、自宅に来てもらうチャンスがありました。)

 息子、1歳8ヵ月。かねてから気になっていた、抱っこ法の援助を受けてみることにした。セッションは、自宅にぴっかりさんの方に来て頂いて行われた。ぴっかりさんの方をちらちらと気にしながら、いつもどおり走り回る息子。いや、来客に、いつもよりちょっとはしゃいでいるかな?

ぴっかりさん、「お母さんの膝にぺた~~んと座っていることがないね、いつもこんな感じかな?」 
 私、「はい。眠い時や何か嫌なことがあった時、寂しい時は私の膝に来るのですが・・・。眠い時以外は、慰められると、すぐ離れていってしまいます」
 息子と積み木で遊ぶぴっかりさん。ぴっかりさんが積んだ積み木を息子が崩す。
ぴっかりさん、「あ、今一瞬、積み木を積みかけたけど、すぐやめてしまったよ。たぶん自信がないんだね」
 息子の行動を、自分と別な見方から観察されて、驚く私。言葉の遅れよりも、行動のほうが心配とのことで、そのうち本格的な慰めの抱っこにとりかかった。

 出産の時のことをぴっかりさんに聞かれ、「へその緒が首にからまって、仮死状態になって、夜中に緊急の帝王切開で・・」と話したところに、息子が「ぎゃ~!」と泣く。「あ~、苦しかったんだねえ」とぴっかりさんに話し掛けられて、また泣く息子。出産後のことを聞かれて、「出産した病院には小児科医がいなくて、肺に胎便を吸い込んでしまっていたので、旦那がつきそって、そのまま救急車で東京都内の小児病院へ」と言うと、また泣く。「そこのNICUに2週間入院して、私達は1時間半の面会時間しか会えなくてつらかった」と言うと、またまた泣く。
ぴっかりさん、「そっか、普通の出産と違ったんだね」 叫ぶ息子。

ぴっかりさん、「あ、今、普通っていう言葉に反応したよ。普通に生まれてこられなかったのが、悔しかったのかな? ぼくは普通じゃないんだと思ってしまってるのかな? 悔しいのかな?」また泣く息子。
ぴっかりさんが息子に話し掛ける。「そっか、お母さんがいなくてつらかった、寂しかったんだねえ。ぼくのせいで、お母さんにつらい思いをさせてしまった、だね」 すごい叫びかたをする息子。
そんな大人なことを息子が考えていたなんて、私は呆然とした。「僕は普通じゃない、本当は普通に生まれたかったのに悔しい、僕はお母さんをつらいめにあわせてしまった、こんなママを困らせる僕だから、ママは迎えにきてくれなかったと思ってるのかな」とぴっかりさんが言うと、息子、また叫ぶ。「そっか、僕はこんな普通でない悪い子。だから、お母さんなんて気安く話しかけられない、かな」また泣く。

 「断乳の時は?すんなりいったのかな?」とぴっかりさんからの質問。「断乳というより息子が飲まなくなってしまって。息子がアトピー体質らしくて、専門の病院へ通っていて、食事制限も母乳だったから、親子共にしんどくて。そのストレスで母乳の味が落ちたらしくて、飲まなくなってしまいました」と私。ぴっかりさん、「そっか、ママがぼくのせいで食べたいものも食べられないで苦労している、そのつらさを軽くしてあげたいから、大好きなお乳も飲まなくなったのかな?」また叫ぶ息子。
 泣く息子を抱えて、私もなぜか泣けてきた。息子がこんなに私に気を使っているとは思わなかった。ぴっかりさん、「のどのところが苦しそうだね、泣くもんか~~!ってのどのところで我慢してるみたい。のどに関係することで、昔、何か苦しいことあった?」そういえば・・・出産の時、ヘソの緒はのどにからまってた。

 私からぴっかりさんへ抱っこを交代。のどをさすりながら息子に話し掛けるぴっかりさん。その声に反応して、真っ赤になって泣きわめき、汗だくになってもがき続ける息子。やがて息子が私に返されると、むすこは甘えたように泣き、いつのまにか眠った。
 「抱っこの間に、“ママ”“いや”と空耳のように叫んだよ。気がついた?」ぴっかりさん。私は息子を抱っこしたり足を押さえるのにせいいっぱいで、全然気がつかなかった。

ぴっかりさんが帰ったあと、むすこはいつもと変わりないようだったが、「あんたはお母さんのこと、いろいろ考えてくれてたのね~」と言うと、照れたように笑って膝にかじりついてきた。今までになかったことだった。
あんなに泣ける息子がちょっとうらやましかった。わたしも誰かによしよしされて、思うさま泣いてみたい。

●2才。運命の日

ぴっかりさんのセッション後も、やはり遊びが発展していかず、自閉傾向の目立つ息子。やはり心配になり、2才になったのをきっかけに、市の発達相談を受けてみることにしました。

不安を抱えながら、相談会場へたどりつきました。先生は専門医ではないけど発達に詳しい市内の小児科の先生。私の話しを聞き、息子の様子をみて、おもむろに慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと、とてもゆっくりと先生はおっしゃいました。
「そう、拝見するかぎり、普通の2才児の発達とは、ちょっと筋道が離れているようですね・・。一人目のお子さんですね? ならまだ余裕があるでしょう。できれば市内の障害者施設への通所をお勧めします」
ある程度覚悟はしていたけど、私は頭から冷水をかけられたような気持ちになりました。私は動揺を隠して、やっとのことで先生に尋ねました。「・・・自閉傾向があるということですか?」 先生は「そう、確かにありますね。でもそう強くはないでしょう。しだいに消えていくでしょうね。、でもこういうタイプのお子さんを、お母さんだけで抱え込むのはとても大変です。そういった施設に通い、職員さんや同じ立場のママなど、いろんな人に支えてもらってください」
その場はなんとかもちこたえたものの、診察が終わってから、私は泣き崩れてしまいました。心配して保健婦さんが二人、私についていろいろと言葉をかけてくれましたが、どんな言葉も私の耳を素通りするばかり。

次の日、私は寝込んでしまいました。何をする気分にもなれませんでした。幸い主人の休みの日で、息子の世話は主人が代わってみてくれました。申し訳ないと思いつつ、本当に何もできませんでした。
その後1ヵ月ちかく、私は泣いてばかりいました。息子と向かい合うのがつらくてつらくて。特に食事のたびに泣いてばかり。私が泣くと、息子も驚いて泣き出すので、息子とふたりで泣きながら食事をとることもしばしばでした。

思えばこの頃が一番つらい時期だったと思います。公園では多動で追い掛けるのが大変。砂場でおとなしく平和に遊ぶよその親子を横目で見ながら、なぜうちの子だけが・・・と、泣きながら息子を追い掛けることもしばしば。自閉症関係の本を読みあさり、自閉症関係のサイトも探しまくり、わが子にあてはまることを探しては落ち込み、涙する日々でした。
泣いて泣いて、泣きつかれるほど、涙が枯れるほど泣きました。「ひとあし」掲示板にも泣きながら書き込みしました。なりふりかまわず助けを求め、幸いに私は支えてくれる人に恵まれました。夫、義父母、義姉、市の保健婦さん、「Kクラブ」で出会った療育仲間、そして「ひとあし」の仲間たち・・。

少しずつ、私は笑顔を取り戻していきました。泣いてばかりはいられない。泣いてばかりいても何も変わらない。何かしなくてはと、私はあちらこちらと療育を探し始めました。そして私は、抱っこ法のセッションをもう一度受けるべく、援助者のYさんのところへ予約の電話をしたのです。(ぴっかりさんの所は、通うには、少し遠すぎました)


●Yさんの援助のセッション(初回)(息子2歳)

重たい息子をかついでえっちらおっちら、電車で1時間ほどかかるYさんのところへ。

Yさんは、白髪で、あったかそうな感じのかたでした。家から持参した生育暦や心配ごとを書いた紙をみてもらい、息子の遊んでいる姿をみてもらいました。
Yさん、「表情が堅いというけど、柔らかいですよ。とても満たされているという感じの顔に見えますよ」 わ~い、ほめてもらった~!

そのあとは、泣きわめく息子を抱っこするのに夢中で、細かいことはあまり覚えていなくって。でも、生まれた時のこと、産後の母子分離のこと、アトピーのこと、今の心配ごとなどをいろいろと話しかけながら、慰めの抱っこをしたのでした。
特に反応がすごかったのが、「よそのお子さんと、つい較べてしまって」という言葉。その言葉を、私が口にするたびに、ものすごい力でのけぞり、ぎゃ~っと叫ぶ息子。
Yさん「そうそう、ママが、僕のせいでつらい思いをするのがたまらないんだよね。ママ、ごめんね、心配かけて・・・なんだよね」と声をかけてくださりました。

私も泣けてぼろぼろでした。Yさんは、私のつらい気持ちも否定せずに、すべて受け止めてくださいました。私が「子どもに悪いとは思いながら、よその子どもと較べてしまって、私もつらいけど、子どももきっとつらいと思うんです」と言ったら、「それはつらいわよ。でも、心のなかで思っていることを否定しようとすると、2重につらくなるよ。較べてしまうことも仕方ない、不安になることも当たり前だと思ってもいいのよ。それもあなたの心の一部なのだから。世間体、不安な気持ちなどは、後から形づくられたもの。でも、“たとえどんな障害があっても、わが子がまるごと可愛い!”っていう根本的な気持ちが、あなたの中に必ずあるの。その気持ちが大きくなって、可愛いわが子だとお子さんを受け止めてやれるようになると、お子さんがだんだん変わってきますからね。頑張りましょうね」

初回は、お互い「ごめんね」のやりとりで終わったような気分でした。息子は泣き通しで、汗びっしょり。頭は水をかぶったようにずぶぬれ。でも抱っこが終わったあと、猛然と水を飲み、着替えをして、さっぱりとした顔つきで、おもちゃで遊んでいました。

息子に劇的な変化はなかったけど、Yさんのことばで、私の心はかなり変化したような気がしました。そう、息子は可愛い! いとおしく可愛い!
支えてくれるところがひとつふえて、母子ともにとても救われた気分でした。


●息子の中に隠されていた「可能性」(2回目のセッション)

2度目の抱っこの時、Yさんはテーブルと紙と鉛筆を出してこられました。「この間、なぐり書きしていたから、これをしてみましょうね」 真っ白な紙になぐり書きする息子、でも気が乗らないみたい。

「じゃあこれはどうかな?」 A4の紙に4つの細長いわくがあって、わくの両側に可愛い絵が書いてある。
「さあ、端から端まで線を引いてみましょうね」 Yさんが息子を抱っこして、手をとってやらせる。最初は横に、そのあと縦に。私は最初、てっきりYさんが引かせているのだと思っていました。

セッションを終えてから、Yさんがもう一度同じ紙をもってこられました。「さあ、今度はお母さんやってみて」
息子を膝に抱っこして鉛筆を持たせ、その上から自分の手をかぶせる。紙の端に鉛筆の先を立てると・・ ぐい~~~~! 力強い手の動き。おおお~~~! 息子が横に力を入れている~! 私じゃない! 私が書かせているんじゃない! 
息子が自分の意志で、横に線を引こうとしている。ちょっと曲がったり、横に逸れそうになるけど、力強く、本当に力強く、息子が真横に線をひこうとしている。なぐり書きすらおぼつかない息子が。私は手を添えているだけだ。私の手に力を入れるのは、あまりに逸れそうになる時だけ。そこで止めてやる。「待っていてあげて。お母さんが力を入れて誘導してはだめ。自分でちゃんと線を引こうとして頑張るから」 本当だ~! 縦の紙には縦に、横の紙には横に、私が書かせているのではなく、息子が自分でやっている。こんなことができるなんて! こんな力があったなんて!
「お子さんは何か課題があったほうがいいタイプかもね」 そうだったのかあ。目からうろこが100枚落ちた。

このセッションから私は、息子の可能性には限りがないことを気づかされました。障害があるから何もできないんだ・・そう思い込んでいたけど、できないんじゃない、自信がないだけなんだ。力強く線を引いた息子の思いがけないパワーが、私に新しい勇気と希望を与えてくれたようでした。

 

●私はこんなにも疲れていたんだ・・・(3回目のセッション)

抱っこも通い慣れると、遠い道のりも楽しくなるもので。えっちらおっちら、重たい息子を担いで、月に2~3回通う日々が始まりました。
3回目のセッション、最初に大泣きしたのは私でした。いつものセッションの時にいろんな愚痴をYさんにこぼしていたら、なぜか泣けてきてしまって・・・。

思えば息子の障害がわかってからというもの、心身ともにクタクタでした。人の数倍手のかかる息子。公園でも内外かまわずひた走るため、危なくて一瞬たりとも気が抜けませんでした。おとなしく遊ぶよその親子を眺めては、「障害さえなければ」と、何度涙しながら走ったことか。「息子のために、何かしなくては」と、いつも頭のなかは療育のことでいっぱい。おまけに旦那はぎっくり腰になるし、家事育児すべてが自分の負担になっていたのでした。
それでも、「もっと大変な障害をもつお子さんのママは、いっぱいいるのだから」「主人も療育には口をださずに、見守ってくれるのだから」「まだ一人っ子なんだから、しっかりしなきゃ。2人も3人も育てているママは、たくさんいるのだから・・・」と、自分を叱咤激励し、ひとりでなんとかしなきゃと、めいっぱい頑張っていた。

泣き出した私の肩を、Yさんがしっかりと抱き締めてくださった。その時、私は大粒の涙をぼろぼろこぼし、しゃくりあげて嗚咽した。私はこんなにも疲れていた。私はこんなにもつらかった。先の見えない不安、焦り、いらだち、それらに常に追い掛けられる日々。でも、なんとかしなくちゃと、突っ走っていた。自分がこんなにも傷んでいたことすら、感じる余裕もなかったのだ。他人に支えられ、泣き出して、初めて自分のつらさに気がつけた。
「甘えん坊。うちの子はもっと大変なのよ」と思う人もいるかもしれない。でも、上を見ても下を見ても存在しない「私のつらさ」は、どんなに目を背けても確実に存在していたのだ。それに目をつぶって、走ってた私。やっと気がつけた。
Yさんは、私の言うことを何も否定しないで、受け止め抱きしめ、心から泣かせてくださった。Yさんいわく、「私は息子がふたりだけど、こうして娘が増えていくの」 このあったかい胸に慰められた母親が何人いたのだろう・・。

今日は、いれこになったカップをつまみあげ、元に戻すことをした。Yさんが息子を抱っこし、手を添えてやらせる。「こうして線を引いたりするのは、課題をやらせることが目的じゃないのよ。こうして、腕や手先で、お子さんとのやりとり・張り合いを学ぶの。で、“できた!”っていう達成感をもたせてあげることが大事なのよ。お子さんに自信をつけさせてあげて。だから、家でドリルばかりやらせちゃだめよ、結果にばかり目を向けないでね」なるほどそうかあ。
息子は相変わらず多動だけど、寝そべる私とじゃれあえる時間が、以前よりずっと長くなりました。


●障害の前に、「僕」を見て!(4回目・5回目のセッション)

順調に息子との距離が縮まっているように思えてきた抱っこ。でも、なぜか3回目の抱っこの後から、息子が私のほうを向いて眠らなくなってしまったのです。1回目の抱っこのあとから、ずっと向かい合って眠れるようになってたのに。4回目の抱っこをしても直らない。抱っこしても、なぜかしっくりとこない。
Yさんに、「この間、養護学校で何かあった?(養護学校で発達検査を受けたのでした) 何か挫折感味わってこなかった? そのこと話し掛けたら、息子さんが眠ろうとしたから、何かきっとあったはずなんだけど」と言われても、思い当たることはないし・・・。いつものような抱っこ後の息子との一体感がもてないままに、何となく寂しい気持ちで家路についたのでした。

5回目の抱っこ。
いろいろ話し掛けるなかで、Yさんが前回のことを思い出し、「本当に養護学校で何もなかった?」と、いろいろと話し掛けてみたのです。そしたら・・・反応がありました! 支える私の手が痛いほど、のけぞり、叫び、蹴る、蹴る、蹴る。息子から伝わってくる気持ちは、こうでした。「僕は“障害児”じゃない、僕は“僕”だ! 障害の前に“僕”を見て! “障害”を見ないで、“僕”を見て! 僕の個性を障害という枠に入れて縛らないで! 僕は、僕だ! 僕をちゃんと見て!」
Yさんが、いろいろと声掛けをしてくださいました。「そうだよね、自閉傾向とはいっても軽いんだものね。“障害”“自閉”という色眼鏡で見られたら、つらいよね」というと、また、ぎゃ~~っ。

息子の障害を告げられてから、私はいろいろな本を読んだりサイトを見たり、自分なりに息子とうまくつきあう方法を探していました。でも、それらの情報を得ていくうちに、知らないうちに私は変わっていたのです。知れば知るほど、息子の自閉的な行動を見るたび、「ああ、あの本に書かれていることとそっくり・・」とためいきをつき、落ち込むようになっていました。私はいつのまにか、「障害を見て、子どもを見ない親」になっていたのです。息子本来の姿ではなく、本やサイトから得た情報を通してしか、息子の行動を見なくなっていた。息子にとっては、それがたまらなかったのでしょう。

Yさんが、息子に声かけ。「そうだよね、つらかったよね。でもこれからママは、養護学校で君とのつきあい方をいろいろ学ぶんだよ。お母さん、君が大好きで、いろいろ君と楽しいことをしたいんだよ。だから君も、お母さんといっぱい仲良くしようね、そしていろいろ文句言えるようになろうね。いやだいやだっていっぱい言えて、お母さん困らせるようになろうね。いっぱいダダこねよう」
私、「あ、あのお~~(^^;)」たらり~。
Yさん、「あらま、お母さん、複雑な気持ちだってさ。でも、“イヤだ、イヤだ”だって、ママとコミュニケーションをとりたいという立派な気持ちだよ。だから、いっぱいイヤだ~って言えるようになろうねえ」
私「(^^;)ははははは・・・」 気持ちは複雑だけど、確かにそうだわ~。

そういえば、3回目のセッションは11月3日。養護学校にいったのは8日だったわ。セッションのせいじゃなかったのね・・
そのあと、お昼をそこで食べて帰った私達ですが、いつもなら走り回る息子が、珍しく私の膝でちょっとだけ座って食事をしていました。そうそう、セッションのおわりごろ、「おわり~おわり~」と言っていました。言葉のない息子、そんなこと言えないはずなのに。

その日の夜からまた、息子と私は向かい合って眠るようになりました。


●甘えん坊になってきたトッキー(6回目のセッションの後で)

12月12日に6回目の抱っこを受けました。その日、セッションの中でむせて嘔吐し、大変な思いをしました。

セッションを受けた夜、息子は40度の高熱をだし、私達夫婦は大慌てで、夜間やっている病院へ駆け込みました。幸い、単純なカゼとのこと。ほっとしましたが、ふだんはめったに鼻かぜもひかない、突発すらやったことのない元気印の息子が、ぐったりとまる2日間寝込みました。

自閉のことを書いた本に、「自閉傾向が改善されると、風邪をひきやすくなる」と書かれていましたが、これがそうだったのかは分かりません。でも不思議に、カゼをひいて以来、激しかった指しゃぶりがぴたりと止まり、なぜか昼寝をしなくなりました。そして、この頃を境に、息子の成長が、本当に少しずつ薄紙をはがすように、表に見えてきました。「自分の体をイメージしづらい」といわれる自閉症。あまりいいことではないけれど、カゼをひいた体調の悪さを感じることで、自分の体をはっきりと自覚したのでしょうか・・。以前よりよく笑うようになりましたし、表情が豊かになりました。私にじゃれつくことも増え、以前より、断然甘えん坊になりました。

私の気持ちも、少しずつ変わってきました。以前は、息子と二人でいることがつらくてたまらなかったのに、つらいと思わずに一緒にいられるようになりました。以前は、一緒にいても、息子が全然相手にならないので、自閉や療育関係の書籍を読んでばかりいましたが、だんだんそういう類いの本を手に取らなくなってきました。しょせん本は本、目の前にいる息子じゃないさ。もともと読書好きな私。いろいろ熱心に読んだせいで、対処法などおおまかなことは、なんとか頭に入れることができました。あとはもういいや・・そう思えるようになりました。

かわりに、私はかなり「ぐーたら母」になりました。子どもの側でご~ろごろ。ビデオばかり見ていて、私がいなくてもよかった以前と違い、台所で家事をしていると、息子はすぐに寂しがり、私の手を引いて呼ぶようになってきたのです。家事は最低限だけ、他は旦那や義父母のいる時にするようにし、なるべく息子のいる居間にいるようにしました。そうして私は気付きました。息子は難しい顔をして書物を読んでる私より、安らいで、ごろごろのんびりしてる私のほうが好きだったのです。
体調が悪い時に、無理に出かけるのはやめました。私がごろごろしていると、息子は私の上にのっかったり、足をかじったり、私をおもちゃにして遊ぶようになりました。ビデオを「目のかたき」にするのもやめました。ことばの発達には悪いけど、雨の日は仕方ないわ~と割り切っていると、それ以来、不思議に息子はビデオをあまりせがまなくなり、絵本などで楽しめることが、以前より増えてきました。

 

●息子が咳き込むとき(2002年最初のセッション)(息子2歳5ヵ月)

2002年最初の抱っこ。前回吐かれてしまった経験を生かして、とりあえず聞き役に徹することに。息子は泣き、時おり咳き込む。

 「この頃どお?」とYさん。「何かちょっと溜まっているみたいなんです・・。要求もかなり出せるようになってきたとは思うんですけど」と私。「本当に要求が出せて泣けていれば、溜まらないはずなのよ。何か変わったことなかった?」とYさん。そういえば・・
数週間前、息子を旦那に預けて、ひとりでスーパーに買い物に出た時、いつもの公園仲間とばったり会ったんだっけ。聞けば、お家で遊んだ帰りとか。2組の母子、子どもどうしも仲良くじゃれあっていて。その時、「うちの子どもだって、自閉傾向さえなかったら、こんなふうに気軽に家を行ったり来たりできるのになあ・・・」と、妙に落ち込んで帰ってきたんだっけなあ。そのことを話すと、時おり咳き込みながら泣くわが子。
セッションのあと、「さっき、お子さん、咳き込んでいたでしょ? 何でかわかる?」とYさん。私「???」 Yさん、「お母さんがつらい気持ちを言葉にした時に、咳き込んでいたみたいだよ」 そうだったのかあ・・・心配かけてしまったんだね。心配してくれてありがとう。

やがて落ち着き、眠ってしまった息子。Yさんとしばし歓談。
 「あちこちいい療育の情報はあるんだけど、みんな遠かったりお金がかかったりで、なかなか実際に通えるところがないんです。子どもの療育のために、引っ越してまで頑張っている人もいるのに、息子に申し訳なくって・・」
Yさん、「そう。でも、療育も通えばいいというものでもないし、親子のつながりがしっかりできていないと、療育の効果もあがりにくいものよ。まずはここで、しっかりと母子のきずなを深めていきましょうね」
 私、「トイレトレーニングもしたいのだけど、おしっこを教える気配が、全然ないんです。どうしたらいいでしょうか?」
Yさん、「身辺自立は、年相応のことをやらせてもいいと思うわよ。「愛情もって、しごく」という感じでね。もっと暖かくなって、薄着でいられるようになったら、まずは時間をきめてトイレに連れていってあげて。トイレに座るのを嫌がったら、ママが足を持って支えてあげてもいいしね。たぶん健常児のお子さんよりは時間がかかるとは思うけれど、何度も何度もゆっくり焦らず勧めていってね」

この頃、泣きながら「いや、いや、いや~~~~」と言えるようになってきた息子。泣いた勢いで言える、という感じだけれど、発語がなかったので、たとえ「いや」でも嬉しい私です。


●歩くことを励ましていく(2/8のセッション)

 抱っこに通う道もすっかり覚え、電車大好きの息子は、ぐずらずに1時間の道のりを通っています。

いつものように抱っこすると、相変わらず泣く息子。「何か変わったことあったかな?」とYさん。私、「えっと、公園で同じくらい言葉が遅い友達がいたのに、その子どもがいきなり2語文をしゃべれるようになっていて、落ち込みました・・」・・・。息子、あまり反応なし。「他には?」 私、「えっと、音楽療法にいってきました」 いろいろとその時のことを話すけど、あまり反応なし。
Yさん、「そうかあ、それじゃ疲れたでしょう」 私、「はい。全然歩いてくれないので、疲れるんです」 すると、ちょっと変化がありました。Yさん、「そうかあ、ママが自分のせいで疲れるのが、心配なのだね。僕がそんなところに通ったらママが疲れてしまうよ~って心配してくれているんだね」と話し掛けると、また泣く泣く。そおかあ、心配してくれてありがとお~。(・・・だったら歩いてくれればいいのに。でも、それができないのが自閉っぽいんだろうなあ・・・・)

Yさん、「お子さんは、ママが疲れるのがとっても心配みたい。だから疲れないように、頑張って歩きたいと思う気持ちはあるのね。でも、頑張れなくなっちゃうから、またつらいのよね。道路でも、できるだけ歩かせるようにしてみたら?」 
 私、「でも外に出ると、必ず抱っこをせがんできて、抱かないと、道路に寝転がってしまって危ないのです。うちは駅前で通行量も多いし」 
Yさん、「じゃあ、まずは家の中からね。家の中で、歩かずに抱っこをせがまれた時は、“つらいね。抱っこしてほしいね。でも本当は頑張りたいんだね。頑張ろうね~”って気持ちを代弁してあげながら、気持ちを分かってあげながら、一緒に歩いてあげて。このあいだも言ったけど、優しくしごいてあげてね。頑張りたい気持ちがたくさんあるのよ。だけど自信がなくって頑張れないだけ。だから、ママが手で触れてパワーを送ってあげてね」

ものすごく早く落ち着いて、寝てしまった息子。最初は2時間近く泣いてたのに。Yさん、「今日はあまり心配がないみたいね。私が入ってきた時に、普通に遊んでいたもの。心配なことがある時は、この間みたいに、私を部屋から閉め出そうとするから。だいぶんお母さんに言いたいこと言えるようになってきたのね」

 私、「おもちゃを、それらしく遊べないんです。手をとって教えようとすると、振り払われてしまうし・・。どうしたらいいのでしょうか」
Yさん、「自閉のタイプのお子さんは、手をとってやらせてあげると、だんだん自信がついてくるものよ。健常児みたいに、途中まで手伝って、その後ひとりでやらせるのはちょっと難しい。最後まで、手を添えてあげてほしいのよ。嫌がられても、簡単に振払われちゃだめ。お子さんは、“何で諦めてしまうんだよお。僕は本当は頑張りたいんだよう”と思ってるのよ。振払われそうになっても、手を握ったまま、離れずにず~っとついていってみて。手と手で、“イヤだ、イヤだ”につきあってあげて。ダダこねが一段落したら、お子さんがだんだん自分で正しいほうに手を持っていくから。目的の近くになると、また小さい「いやいや」が出てくるから、それにも手でつきあってあげてね。そのうち、お子さんが正しい動きを自分でするようになるから。ママが力づくでやらせてしまうと、“やらされた”という気持ちしか残らず、達成感が得られないのね。そうなるまで、みかけは嫌がって泣きわめくけど、心配しないでね」
ぐっすり眠ったあと、練習に、棒に輪を通すおもちゃを、息子と一緒にやりました。息子の手に私の手を添えて。息子はわめき、泣きながらやっていました。終わったあと、また少し抱っこしてあげました。「お子さんは、わりと負けずぎらいね」 Yさんの言葉。???なぜ分かったのだろう。確かに、彼は私に似て完璧主義かもしれない。

 抱っこをしたいけれど、周り(近所、家族など)が気になってできない人は、一日5分でもいいから抱っこすると違ってくるとのことです。


●「母親の癒し」は「子どもの癒し」(2/18のセッション)

 重たい息子をえっちらおっちら担いで行って来ました、Yさんのところ~。

Yさんの顔を見るなり、感情が溢れるかのように泣き出す息子(これは心に何かあるサイン)。思わず、「おいおい泣くな!」と泣き止ませようとする私に、すかさずYさん、「あらあら、お母さん。せっかくここに来てるのに、“泣くな”はないでしょう。それとも、泣かれるとつらいことがあったの?」確かに・・・。
 今朝かなり早くから、息子はぐずりっぱなしで、私はろくに食事もとれず、泣きわめく息子をなだめながら、片手で抱っこしながらの食事づくり。思うように進まなくてイライラ。体はクタクタ。ついには、台所の床におもちゃを投げつけた息子にぶち切れ、おもちゃを投げ返してしまったんだっけなあ・・(あ、床にね・・。さすがに息子には投げなかった)

ちょっとこの頃、扱いにくくなった息子。私は今日、3つの悩みをもって抱っこに来ました。

(1)絵本のこと。好き勝手をページをめくってしまったり、同じところを何度も読まされる。どうしたらいい?
(2)どこにいくにも、抱っこ抱っこの息子。この頃、できるだけ自分で歩かせようと頑張っているのだけれど・・。そうすると不安定になり、自分の頭を叩いたり、物を投げたりと、落ち着かなくなる。どうしたらいい?
(3)叱ると、ぺしぺしと頭を叩く。どうしたらいい?

Yさんのアドバイス。

(1)については、「並べる、ぺらぺらめくる、回すなど、自閉の特徴と言われるものだけど、子どもからすれば、一見何の意味もない行為にも、意味があったりするから。どの子どもさんにも、そんな時期があるから。今がそうなのね。それらをしていて苦しそうでなければ(つまり、苛立ちの表現としてやっているようでなければ)、たっぷりつきあってあげた方が、早く落ち着いたりするから」

(2)これが、この頃私を悩ませ、今朝の息子との大立ち回り(?)へとつながっていました。もう毎日、物は投げるわ、泣いて頭は叩くわ、手がつけられなかったのです。
 「今が“山”みたいね。母子が1つの山を超えようとしている。でも、そうやってママに自分の意志を伝えようとしてるのは進歩。いいことなのよ。それだけ、ママとの距離が縮まっている証拠なのだから。絵本の時のように、子どもに合わせてたっぷりつきあってあげることも大事。でも、相手の気持ちを汲み取りながら、“ママとしては、こうしてほしいんだよう。一緒に頑張ろう~”って伝えることも、また大事なのね」
 「ママが、自分のつらさに目をつぶらないでね。自分のつらさを押し込めたまま、家事育児しようとすれば、よけいにつらくなるから。自分のつらさをつらさとして、自分でちゃんと感じてあげれば、子どもにぶつけることもなく、つらいと想いながら冷静でいられるようになるからね。お子さんのつらさに、ママが“つらいね~”て寄り添い、ママのつらさには、お子さんに“つらいね~”って寄り添ってもらったら、ずっと楽になれるよ」
 「お互い自分の意見が言えて、相手の意見が聞けて、それで歩みよれることがとっても大事なの。とりあえず、お子さんのヤダヤダ・イヤイヤにたっぷりつきあってあげてね。“いやだね~、いやだね~”って言いながら、つきあってあげて」

(3)「自分を叩こうとしたり物を投げようとしたら、その手を止めてあげてね。できる範囲でいいから、叩いたり投げたりする前に止めてあげて」

Yさんといろいろ話をするうちに、話題が、私の親のこと、祖父母のことになりました。苦労ばかりしてきた母。そして父方と母方の祖母。その話をするうちになぜか涙が。
Yさん、「そうかあ。そんなに大変だったんじゃ甘えられなかったね。寂しいって言えなかったね」 私、また涙。
Yさん、「お母さんになんて言ってあげたい?」 私、言いたいこといっぱいあるような・・でも言い出すと、崩れてしまいそう。考えるけど、言葉がなかなか見つからない・・。
 私、「・・・“もっと楽していいんだよ”って言いたかった。“もっともっと、いい加減でいいんだよ”って・・・。もっと気楽に生きて欲しかった。そしたら私も楽だった・・。そうできない立場だったのは、分かってるけど」
・・・・あれ? これって息子も同じこと思ってるのかも。前のセッションの時、息子は泣いていた。お母さん無理しないで、疲れないでっていう感じで。

 今回は「歩く」セッション。息子と一緒に手をつないで、お部屋を歩く練習。嫌がって抱っこをせがむ息子。そこで、「いやだね~」と言いながら手をつないで歩かせようとすると、ちょっと歩いただけで座り込み、泣き出してしまう。そこで抱っこをしたら、ちょっと泣いただけで、すぐ寝てしまいました。Yさんが寝入りばなの息子に、「練習、イヤなの?」と聞くと、「うん!」と声を出し、思いっきりうなずき、そしてすやすや。ちなみに息子は、返事をすること、うなずくこと、ふだんは全くできません。

 私の抱えている気持ちは、母から伝わったもの。そして、息子へも知らずに伝わっているんだなあと、今回のセッションでしみじみ想いました。セッションは、子どもを癒すのはもちろんだけど、掘り下げて行くと、「母親の想い=子どもの想い」、「母親の癒し=子どもの癒し」だということを実感させてくれます。セッションを通じて母親が、自分でも気付かなかったつらさや寂しさに気づけると、子どもも楽に生きられるのかもしれません。息子、今日はたまに頭を叩いていましたが、昨日よりずっと笑顔が増えていました。

 

●そのままの君でいいんだよ(3/12のセッション)

お部屋に入ると、しきりに入り口を指さし、私の手を引いて帰りたがる息子。Yさんの顔を見ると半べそになり、またまた帰ろうとするしぐさ。むむ、これは予想どおり、何か心配ごとがあるな・・。

というのも、心あたりがあったからです。今回の悩みは、息子の進路。この頃公園は、幼稚園情報花盛り。先輩ママからいっぱいもらう情報に、振り回される私。幼稚園で3年保育にするなら、今年の秋には願書をもらって面接試験(できるわけない・・)。来年の春には入園。でも、もろもろの事情から、できれば2年保育にしたい私。うちの周りは幼稚園がたくさんあって、健常児なら選択肢は片手にあまるほどだけれど、少子化の昨今でも、「自閉傾向」があるとなると、受け入れてくれる園は少ない。
 第1希望は、隣の市のA幼稚園。園長先生が自閉症にとても詳しくて、自閉症児や自閉傾向児、また肢体障害児や帰国子女で言葉に不安のある子どもなどを、受け入れてきた実績がある。でも、遠いので園バスが来てくれないかもしれないし、その地域は幼稚園の激戦区なので、3年保育でないと受け入れてもらえないかもしれない。
 第2希望は、市内のB短大付属幼稚園。家からはちょっと遠いけど、バスが来る。でも見学した先輩ママから、「あそこは、受け入れてはくれるけれど、面倒見はよくない」との評判を聞いた。そこなら、2年保育でも3年保育でも、入園可能。
また、市立の福祉施設「C学園」もある。同じ立場の就学前の知的障害児の通園施設。バスもあるし、同じ立場のママ友達もできるかもしれない。空きもあるので、入園はいつでも可能。でも、一度見学した時の印象では、専門知識のある職員さんがいなくて、普通の保育士さんだけ。また、福祉施設にしては職員の数が少なくて、自閉の子はほっぽらかしの印象を受けた。

わが子が、毎日のびのびと楽しく暮らせる環境に入れてあげたい。そんな環境なら、福祉施設でも幼稚園でも、どっちでもこだわりはしない。でも、どこかに入れるのだろうか? 受け入れてくれるのだろうか? 自分の名前も言えない、は~いと返事もできない、まだおむつもとれない、ひとりで食事もできない、身辺自立も何もかも遅れのある息子。息子よりずっと身辺自立の進んでいる知り合いのダウン症のお子さんが、幼稚園も保育園もどこも断られたという。どこに、いつ、入れたらいいのだろうか。早く集団にいれたほうが、周囲の影響をうけて伸びるというのなら、いっそのこと無理してでも3年保育にするべきだろうか。

Yさん、「集団に入れるというのは大事なこと。でもそのためには、心の準備が必要だよね。どこに通うにせよ、ママがいないところで何か困ったことが起きた時、ママ以外の人に助けを求められなければ、お子さんはつらいんじゃないかな。たとえば、さっき、ママがトイレに立った時、お子さんはどうしていいか分からなくなって、お部屋のなかをうろうろ走り回っていたよ。言葉や態度で分かりやすく気持ちを伝えることができなければ、集団生活はつらいでしょう。徐々に、泣くなり他人に甘えるなりして、つらさをちゃんと訴えられるようになるから、それまでは、ママや家族とのきずな作りを優先させていこうよ。それがしっかりしてくると、徐々に他人にも訴えられるようになるから。3年保育にしてもまだ時間があるから、じっくり考えてみては? とりあえず週に数日、どこかへ入れてみて、様子を見ながら通わせることもできるんじゃない? 今現在は、まだ、ママと一緒にどこかの集団へ、週一度程度通うくらいでいいと思うよ」

 今日はYさんの所に来るまでに、階段はすべて歩けた息子。「おお、えらい、えらい~」と、Yさんと褒める。でも息子、「ぎゃ~」と泣いてつらそう。やたらと足を、Yさんに触らせたがる。
Yさん、「もしかして、歩くのがとってもつらかったのかな? たぶん、お母さんや周りが思っているより、お子さんにとって“自分で歩く”ことは、とても大変なことなんだね。ただ、歩けたね、偉いね、だけじゃなくて、“本当はすっごく大変なんだね。でも、ママが疲れてしまうから、頑張ってくれたんだね”って、裏に隠れた大変さを分かってあげてね。確か、歩くのも遅かったんでしたっけ?」
 私、「はい。つかまりだちが半年と長くって、1歳8ヶ月に歩きました。昨日まではたっちもできなかったのに、歩けた日から、すたすたと上手に、まるで昨日も歩いていたみたいに・・」
Yさん、「お子さんは“大丈夫”と自信がつくまでは、力をためにためて、行動しないタイプかもね。だから自分で歩くのも、もっと自信がつくまでは、やりたくないのかもしれないね。もしかして言葉も、しゃべり始めたら、2語文とか喋るタイプかもしれないよ。でも、待ってあげられる“言葉”と違って、歩くのは、もうこんなに重たいから待てないよね。ママが疲れてしまうからね。だから、大変さを分かってあげながら、少しづつ練習していきましょうね」

 私、「でも、障害のある息子をもって、本当に子どもを愛するってこういうことかって、少し分かってきたように思います。お利口だから可愛いとか、言うことをきくから可愛いとかじゃないのですね。ただ生きていてくれて、そこにいるだけで可愛いんですよね。たぶん、障害がなかったら、こんな気持ちになれなくて、教育ママになって息子を追いつめてしたかもしれません」 
Yさん、「そうね、そのままの君でいいんだよね」 ぎゃ~っと泣く息子。
Yさん、「ママは、自分のお母さんに言ってもらったことある? “そのままのおまえが可愛いよ”って」 
 私、「いいえ。母はいつもしつけに厳しくて、一度も言ってくれたことがありませんでした。同居してた祖母がよく、“可愛い”と言ってくれたのが救いでした。でも、母も言えなかったのだと思います。だって、母だってきっと一度も言ってもらってなかったと思うから。母方の祖母だって、そんなこと言う余裕の無かった人ですから」 
Yさん、「そうなの。ママのお母さんも、おばあさんも、言えなかったのね。ママも言ってもらえなかったのね。誰もできなかったのね。それを言えるようになったんだ! 自分が言ってもらえなかったのに、言えたんだね!」
ものすごく喜んでくれたYさん。私・・・(;;)うるうる。息子もちょっと泣き方が変わったみたい。祖母から母へ、母から私へとつながってきた鎖が、ちょっとほどけたような気がしました。

Yさん、「そのままの君でいいんだよ~って言えているのね。それなら、そのままのママでいいんだよ~っていうお子さんの気持ちは伝わってくるかな?」 
 私、「えっ? でも私、この子にとって、決して良いママじゃないと思います・・・。料理だってうまくないし。子どもの扱いも下手だし・・」 
Yさん、「でも息子さんは、そのままのママでいいんだよ~って言ってくれているよ。その気持ちも受け止めてあげようね。お互いに、そのままでいいんだよ~って」 
そうなんだよね。でもママ、自己評価低いんだよ・・。

 今回はなかなか落ち着かず、結局寝なかった息子。久しぶりに、最後まで落ち着きませんでした。もっと「何か」分かってほしいことがあったみたい。ちょっと消化不良だったみたいだけど、続きは次回、ということで。


●家でも、慰めの抱っこに取り組む(3/27のセッション)

 重たい息子をえっちらおっちら抱えて、行ってきました、Yさんのところ~。
 今回はわりと落ち着いていた息子。Yさんが来ても、前みたいに追い出そうとしない。この間の自宅での抱っこが効いたのかな?

 ~自宅でのこと~

[その1]
この頃、自立心が芽生えたのか、おむつ、ズボン、靴下を自分で履きたい息子。まだおむつやズボンはちょっと難しそうでできないのに、手伝おうとすると嫌がる。仕方ないので、肩に手を添えてハンドパワー(?)を息子に送りながら励まし続けていた。けれど、とうとう、できないつらさにカンシャクを起こして、物を投げたり泣いたりしはじめた。あらら、これは収まりがつきそうにない。じじばばに聞こえそうだけど、まあいいやと、自宅で抱っこしてみました。
のけぞりわめく息子と張合いを繰り返し、落ち着くまでに、かれこれ30分くらいかかったでしょうか。ちょっと落ち着いてきた時に、「そうかあ、うまくできなくて嫌だったんだね。つらかったんだね。でも、そうやって頑張っているトッキーが、お母ちゃんは好きだよ。うまくできなくても、頑張ってるってことが嬉しいんだよ。うまくできたって、できなくたって、おかあちゃんは、トッキーが好きだからね」と声をかけると、すっと眠ってしまいました。

 [その2]
ポーテージプログラムを受けた日の夜、この頃おとなしく歯を磨かせてくれていた息子が、珍しく大暴れ。で、ふっと思いつき、「もしかして、今日、先生といろいろお話していたのが、嫌だったのかな? 自分のことで、ママが悩んでいるのを聞かされて、いたたまれなかったのかな?」と声をかけると、「・・・うえ~~ん」と、とっても上手に泣いてくれました。

たぶん、これらでちょっとガス抜きができていたのだと思います。

 「その1」のことをYさんに話しながら抱っこをしていると、Yさんが途中で抱っこを代わってくれて、息子に、「そうかあ、君はひとりで頑張りたいんだね。でもさ、お母ちゃんにも手伝わせてあげてよ。自分ひとりで頑張りすぎないでさ。お母ちゃんも手伝ってあげたいっていってるよ。本当にできるようになるまで、ちょっとお母さんに手伝ってもらおうよ。そのほうが楽だよ」 
 本当に息子は完ぺき主義というか、自分ひとりでやらないと気が済まない性格。・・・・あれ? それって、私もだあ。つい他人に助けを求めるより、自分でなんとかしてしまおうとする、甘え下手。そういえば、私の母もそうだった。いつも一人で何でも頑張りすぎて、家事も孫の面倒も畑仕事もひとりでこなし、ついに両ひざをこわして、人工関節をいれた。でもそう、甘えられる環境じゃなかったんだよね、私も母も・・(;;)ほろり。つらい時に、つらいって言えないのって、しんどいね。ことばのない息子、いつもこんな気持ちを味わっているのかなあ。

 月末から実家へ帰省する私。でもちょっと気が重い。1年半ぶりの帰省、親戚達が息子みたさに集まってくるに違いない。家族には障害のことは少しは話してあるけど、親戚達がことばの遅い息子をみて、あれこれ言いやしないだろうか。ほかの子と比較されやしないだろうか。
そのことを話すと息子が「ぎゃ~」 Yさん、「そうかあ、ママが自分のことで悩んでいるのが心配なんだね、自分が話せないから、不思議な行動をとるから、ママがそのせいで大変な思いをするのがつらいんだね」 すると息子はまた「ぎゃ~」 息子よ、君はなんて親思いなんだろう。ありがとう。嬉しくって涙が出る~。

でも今回は、ちょっと深刻に考え込んでしまいました。いえいえ、抱っこのセッションのことじゃなく・・・。
Yさんの所の待ち時間に、ある自閉症のお子さんのママとお話したのです。すごく表情がよくって、賢そうな顔つきをしている小学生の男の子・・でも自閉症。いろいろ話を聞かせてもらいました。遠方から、電車を乗り継いで通ってきてるとのこと。電車にこだわりがあり、気に入った電車へ乗せるのに、遠回りをしてここまで来ること。病院で、医師の心無い言葉に傷ついたこと。学校側の理解のなさ・・・。
 日々の暮らしの大変さを、生の声で聞かされ、「ひとあし掲示板」の先輩ママたちの話や、漫画『光とともに』に書いてあることが、一気にず~んと身近に感じられて、これが私の行く道なのかしらと思うと・・・。障害があってもなくても可愛い息子のはずなのに、いざとなるとおじけづく・・。まだまだ修業が足りないかなあ。

いえいえ、頑張る。めげない。くじけない。いえいえ、めげても、くじけても、泣いて立ち直る~。


●将来への悲観(4/11のセッション)

 重たい息子をえっちらおっちら抱えて行っていたYさんの所。抱っこ効果か、息子も多少成長し、駅の階段は、ほとんどひとりで上り下りできるようになりました。

 今回のセッションも、「何か」あるだろうとは思っていました。というのも、前回のセッションで出会った自閉症のお子さんのママの話や、自閉症の子どもが主人公の漫画『光とともに』を読んだことで、将来をかなり悲観してしまった私。「この子の将来は、いったいどうなるの・・」落ち込みからなかなか抜けられなかったのに加えて、帰省の疲れがなかなかとれずにいたところに・・。きわめつけは義母の一言、「○○さんち(主人のいとこ)は、もうとっくにおむつが取れたって。もう2人目ができるんだって」 同じくらいに結婚して、子どももあちらが8ヶ月大きくて、年齢が近いから気になるのは分かるんだけれども・・。
 私だって・・2人目が欲しい! 私だって・・息子のおむつを外したい! でも、あちこちに療育に通うことを考えると、身重になる決心がつかず・・でも、あまり高齢出産にはしたくない・・あれやこれやと自分なりに悩んでいるのに。「おしっこ」「うんち」はもとより、「パパ、ママ」も言えない息子のおむつを、どうやって取れっていうの? 私がこんなに悩んでるのに、人の気も知らないで~~!!と、ぶちきれ、義母が帰ったあとで、「やんちゃるもんちゃ母」になり、息子の目の前でぼろぼろと泣きながら部屋中に絵本をぶちまけ、投げつけ、慌てた旦那に止められ、それでも怒りは収まらずに翌日に持ち越し、息子に(手はあげなかったけど)当たり散らしてひどいことばかり言ってしまって・・・ああ反省。

そのことを話ながら、慰めの抱っこをしました。息子は予想外に早く落ち着いて、さっさと眠ってしまいました。まるで「Yさん、ママの話をいっぱい聴いてやって」と言ってるかのように。
 私、「将来のことを考えると、不安になるし、悲しくなるんです。周りの子はもういっぱいお話できるようになっているのに、なぜうちの子だけがと思うと、子どもには悪いと思っていても、“貧乏くじを引いた”ような気持ちになる時があるんです(息子よごめんよお)。なぜ私だけがこんな苦労しなくちゃならないのかって。就学のこととか、幼稚園のこととか、今から不安で不安でたまらない。これじゃ息子のことを受け入れてない、悪い母親だと思えてならないのです。親なんだから、子どものすべてを受け入れて愛情を注いでやらなければならないのにと思うと、息子に申し訳なくって・・(;;)」
Yさん、「いいえ、お子さんのことを受け入れてないなんてことはないよ。こんなに一生懸命頑張っているんだもの。お子さんが可愛いと思うからこそ、心配にもなるし、不安にもなるのね。障害をもつ子どもの親御さんは、気がつかなくても、自分の子どもを心の中ではまるごと、ちゃんと受け入れているものなんだよ。でも、世の中がまだまだ障害者を受け入れる体制が整ってないし、先々のことを考えると、“そのままのわが子が大好き!”という気持ちが、“不安だよ~”という気持ちに乗っ取られてしまうのね。(この「気持ちが乗っとられてしまう状態」を、「バスジャック」と呼んでいます。詳しくは阿部秀雄先生の著書『ダダこね育ちのすすめ』などに載っています。以下、「バスジャック」という言葉を使います) 
【ぴっかりより】「バスジャック」のお話は、癒しの子育てネットワークのHPにも載っています。そのHPの「親心を立てる」「もう一つのバスジャック」「腰を立てる」「バスジャックされない秘訣」といった読み物をご覧下さい。(癒しの子育てネットワークのHPは→こちらから)

Yさん、「お母さん達の世代は、受験・成績・偏差値など、いかに他人より比較して自分が上であるかを求められた世代でしょ。だから自分も、わが子が他人と比較して、より上であってほしいと思う気持ちが強いのね。だから、自分の子どもが比較して下のほうであると、とてつもなく不安になってしまうの。それに、世間に障害者の理解がないせいか、“障害をもつ子どもをもつのは不幸なこと”“障害があると幸せじゃない”などという価値観を、小さい時から身につけて育ってきた人が多いんじゃないかしら。でも、障害をもった人やその家族で、とても幸せに暮らしている人は、いっぱいいるのよ。本当は、障害と幸せ・不幸せは関係がないもの。そのことを、障害をもっている子どもたちは、私たちに教えてくれているの。“お利口だから、何でもよくできるから可愛い”とか、“勉強ができて、いい学校に入れたから幸せ”って一般的に考えてしまうけど、障害をもった子どもは、そんな価値観を見事にぶっこわしてくれるわ。障害のある子どもをもっていても、十分幸せに暮らすことはできるのよ。心の中ではちゃんと、どの親も、障害のあるわが子をちゃんと愛しているものよ。
 私、「でも、すぐ落ち込んでしまって・・・。こうしてセッションを受けた後や、体調のいい時は、わが子を受け入れることができるように思うんですけど。ちょっと体調が悪かったり、疲れていたり、人から何か言われたりすると、すぐバスジャックされてしまって、落ち込むんです・・わが子に罪はないのに」
Yさん、「そう、障害を受け入れるのには、時間がかかるものなのよ。一朝一夕にできるママなんて、どこにもいない。周りからの励ましや支えが必要なの。つらい気持ち(“こども心”とも言う)にバスジャックされないで、つらくはあっても、ちゃんと運転手さんと車掌さん(“おとな心”とも言う)が犯人をなだめて、目的地までたどり着けるようになれれば、つらい気持ちに振り回されずに、ちゃんと子どもを愛せるようになるよ」

 私、「スプーンも上手に使えていたのに、この頃使わなくなってきたんです。なぜでしょう?」 
Yさん、「お母さんがバスジャックされていると、お子さんの気持ちの“おとな心”が立たなくなり、できるはずのことでも、自信がなくなってできなくなったりするものよ。お母さんは、バスジャックされずに、子どもを励まして自信をつけさせてあげてね」

 息子、意味なく「あいうえお、かきくけこ」を言うようになりました。とはいっても、よく「あ・い・う・け・こ」「か・き・く・え・お」など、へんてこりんになるのだけれど、不思議に同じ行の文字へ飛ぶのが面白~い。たぶん、お風呂に50音のひらがな表が貼ってあるので、それを見て覚えたのだろう。自閉っぽい子どもは目から入るというが、本当だと実感する。

その夜、久しぶりに見事なスプーンさばきを、息子は見せてくれました。

 

●みんなに支えられながら(4/24のセッション)

この時、私は、めちゃくちゃ落ち込んでいました。その時の気持ちを、ぼろぼろになりながら、くずおれそうになりながら、素直に、こう、「ひとあし掲示板」に綴ったものです・・・。

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水曜日に抱っこに行ってきました。本当ならば抱っこ報告なのですが、なぜか抱っこの時のことを全然思い出せません。それは、私がその時、とてもつらい想いを抱えていたからです。その気持ちを伝えたくても、あまりにつらすぎて訴えられない。

前回の報告の時に、「障害のある子どもがいても、幸せな家庭は沢山ある」「障害と幸せ・不幸せは関係がない」と書きましたが、私はそれを頭では分かっていても、どうしても心で受け入れることができなかったのです。
2歳8ヶ月になっても、ちっとも伸びない息子。「いけない」と分かってはいながら、周りの子どもと比べては焦り、いらだち、悲しみ、悩む日々。1歳半検診からずっと、息子の発達のことで悩まない日は一日とてなく、先の見えないトンネルの中のような日々。A学園からは自閉専門の通園施設を勧められるし、ポーテージの先生からも、「お子さんは大丈夫ですよ」との声はきかれない。Yさんからの「お子さんのありのままを受け入れてあげて」の優しい言葉も、疲れた私には、「普通の子どもにはなれないのよ、諦めなさい」と響いてくる。(Yさん、ごめんなさい~)
本音は、私は、息子に「伸びて」欲しいのだ。「息子のありのままを受け入れたい」と頭では想いつつ、「就学時検診を、何の心配もなくパスできるようになって欲しい」と心の底では切に願いつづけている私であった。「まだ2歳8ヶ月じゃん。そんなに心配することないよ」と言われるかもしれない。でも・・・もう2歳8ヶ月。言葉もほとんどなく、模倣性もなく、他人とかかわろうとしない息子。この子が将来、他の子どもに追いついていくことがあるのだろうか? とてつもない不安に日々さいなまれ、幼稚園、小学校、・・・将来のことを想うと、足の力が抜けて立っていられないほどの脱力感を覚える・・・・

悩む心を、メールでYさんに書いた。とてもここには書けないような、生々しい悲しみ・つらさを、涙をぼろぼろとこぼしながら、わたしは延々と書き連ねた。書き終えたら、鬱々としていた心がすっとした。翌日、返事を頂いた。また泣けた。また心が軽くなった気がした。

でも、息子に髪の毛をつかまれると、つらくなってしまう。痛さのあまりに、「やめて」と私が泣きながら叫んでも、息子は面白そうに、けらけらと笑っているのだ・・・。ぴっかりさんの本を読んで、「笑っていても、苦しい気持ちを抱えているのだ」と分かっていても、私も生身の人間。これが一生続くように思えて、なんともつらい・・。でも、こんなことをくり返しつつ、私も成長していくんだろうなあ。いきつもどりつ。先は長い・・。

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この書き込みを見て、ひとあし掲示板の仲間のみんな、さくりんさん、きんちゃん、ねんどるさん、さえママさん、MIKOさん、ボコさん、しゅぷーるさん、まるこさん、たくさんの仲間からレスをもらいました。Yさんも心配してくださり、お忙しいなか、わざわざ自宅へ電話までくださいました。それでも私の落ち込みはなかなか復活できませんでした。そんな時、私を立ち直らせてくれた2つの出来事がありました。

一つは、書店で偶然見かけた書籍。NHKスペシャルで放映されたこともあるのですが、重度障害をもったお子さんが、文字盤を指でさして言葉を綴った、というものでした。この放送自体については、かなり賛否両論あったようですが、私はその書籍のなかのある文章に、強く引きつけられました。
「私は条件をつけずに愛されました。このまんまの私を受け入れてもらえました。脳障害であることは大変だけれど、私の存在を否定する材料にはなりえませんでした。そして、そこから始められた私は、それ以後も誰かと比較されたことはなく、テストされたこともなく、昨日の自分より明日の自分が優秀になっていればいいという思想のもとで育てられました。私は常に成功者でした。私自身において。誰かと比べてでは、決してなかったのです。私は私自身でありさえすればよかったのです」
う~む、私が考えてきたことって何だろう? 常に息子を他人と比較し、息子はどの程度の発達状態かと気に病み、息子の心を傷つけてきてしまったんじゃないかしら? 自閉ぽくても、ちゃんと言っていることは解っていることを、抱っこの時に感じていたはずなのに。つらい気持ちにバスジャックされてしまって、自分のつらさしか見えなくなって、「本当に大事なこと」を忘れちゃってたなあ・・って。

もうひとつは、旦那とのこと。休日、旦那と息子と3人で大きな公園に出かけた時、ついにつらさが吹き出してしまい、旦那に泣きながら訴えてしまいました。「育児がつらい、家を出て一人で実家へ帰りたい・・」 旦那は私をベンチで休ませてくれ、多動な息子の世話をひとりでみてくれました。春の日差しが、すごく、すごく、あったかく感じました・・。その翌日、旦那が1日、私に休みをくれました。一人でヨコハマまで買い物。好きなところを歩いて、好きなものを見る。外食も、誰にも邪魔されずに最後までひとりでゆっくり食事をとるのも、本当に久しぶりでした。

その後、私はやっと、元気をとりもどすことができました。ぴっかりさんの本にあるsatomiさんの言葉じゃないけれど、「子どもと道路に飛び出す前に立ち直れてよかった・・」 月並みな言葉になってしまうけれど、周りの人々の励ましや支えが本当に有り難かったです。


●息子の幸せって、何だろう?(5/15のセッション)(息子2才9ヵ月)

今回のセッション、息子はずっと泣き通しでした。Yさんいわく、「ママが落ち着いたから、安心して感情を出せるんじゃないの?」 その理由は・・。(以下は私の勝手な思い込みです。ご不快に思われるかたもいらっしゃるかもしれませんが・・)

この頃、私の落ち込みようはひどいものでした。2才9ヵ月になるというのに、言葉はほとんどなく、成長が目に見えない息子。私は、「なぜ伸びないの? こんなに一生懸命あちこち療育へ通って、一生懸命頑張ってきたのに、なぜ? 将来はどうなるの? どうしたらいいの? どうしよう???」 ぐちゃぐちゃに落ち込んでおりました・・・・。悩み過ぎて、アレルギー性湿疹のかゆみに悩まされるようにまでなりました。料理も何も手につかず、いらいらしてばかりの毎日。悩みに悩んで悶え苦しみ、そのなかで本当にふっと思ったのです。「伸びればいいの? ただ息子が標準に伸びさえすれば、私は安心なの?」私は自問自答しました。

私の本当の願いは何? 答えは「息子が幸せになって欲しい」でした。じゃあ、息子の幸せって何だろう? 息子に対して、私なりに考えた結論は、将来、朝元気に起きて、美味しく朝御飯が食べられて、元気に家を出て、出先で美味しくお昼が食べられ、また夕方、元気に帰って来て、夕御飯を美味しく食べられて、心地よい疲れと共にぐっすりお布団で眠れるならば、それでいいのではないか、と。ただ伸びさえすれば、幸せがやってくるとは限らない。息子がどういう子どもであろうが、息子にあった環境の中で、毎日家族が幸せに暮らしていけるならば、それでいいのではないか、と。
でも家族や自分に障害があると、私達はどうしても「幸せ」になれないと思ってしまう。それはなぜ?
私の独断と偏見かもしれないがこう思う。社会が、障害や遅れをもつ人を充分に受け入れられる体制をとってないからだ。障害者への偏見、まだまだ進まないバリアフリー、福祉施設の少なさ。たとえば、私は先天性の強度の遠視。眼鏡がなければ見づらいのだから、大きく考えれば障害者だろう。でも、私も家族もそれを嘆かない。全国どこでも手軽に眼鏡を購入することができるし、眼鏡をかける私に、周囲の人の偏見はない。
それならもし、世の中に障害者への配慮が充分にあったら? みんなが障害者への知識を充分にもち、偏見もなく、障害をもつ子どもの親へのケアが充分で、情報も必要なだけ与えられ、受けたい療育がどこにいても充分に受けられ、どこの保育園、幼稚園、学校でも障害者への受け入れが充分で、どこの会社でも充分に障害者を受け入れることができて、親兄弟に過分な負担をかけることなく、障害者が良い環境で毎日明るく楽しく暮らせ、もし親が先立ったあとでも、兄弟に過分な負担をかけることなく、最後まであったかい愛情でケアしてくれる環境があったなら、障害があることを嘆くことはないのではなかろうか?

乙武さんの著書にもあったけど、障害は自分ではなく周りにある。周りが変われば障害はなくなる。でも周りはそう簡単には変わらない。
そんなことをYさんに話したところ、「本当にそうだよね、でもこれから、きっと世の中も変わるよ。乙武さんや流奈くんみたいな人もどんどん出てきてるし、世の中が、障害者みたいな「みんなと違う、でも、みんな違っていいんだ」っていう存在をもっと認めるようになれば、不登校もひきこもりも自然になくなってきちゃうよね。今までは物質優先の時代だったけれど、これからは心の時代だよ。障害者や老人、子連れのママに優しい時代がきっとくるよ」

私の知人には、成人した障害児のママが二人いる。1人は発達遅滞、1人はダウン症候群。でもどちらのママも、とってもいきいきしてる。私よりおしゃれでとても若く見える。発達遅滞のお嬢さんは、理解ある一部上場企業で正社員として働き、周りの人にも恵まれて毎日頑張って働いてる。家事もママと分担してやっていて、ママが留守の時は、1人で料理も洗濯もやってくれるらしい。その子も、小さい時の診断は「半身不髄、要介護」 とても今の姿からは考えられない。
ダウンのお兄さんは作業所へ通っている。人懐っこくてものすごく可愛い。先日そのママに言われた。「たとえ同じ障害のタイプでも、親が愛情もって前向きに育てたお子さんと、親が否定的になってイヤイヤ育てたお子さんでは、大きくなると全然差がついてくるものよ。いろいろ大変だろうけど、大切に育ててね」

まだまだ課題は山積みです。幼稚園、就学・・・・すぐにまだ落ち込むでしょう。でも支えてくれる人がこんなにたくさんいる。何より可愛い息子の笑顔があるから、もう少し頑張ってみよう。


●障害に遠慮していては、いけない!(5/15のセッションの後で考えたこと)

わたしはずっと、息子のことを、「不憫だ」「可哀想だ」と思ってきました。障害をもっているがゆえに、言われたことを理解しながらも、理解しているとはとても思われない行動をとってしまうわが子。言いたいことが言えない、自分だってとってもつらい、ママとも言えないわが子を、ずっと可哀想だと思っていました。
そんなわが子を私は、障害児だと思いたくはありませんでした。いつか自閉傾向が薄れたら、一気に普通の子どもに追いつけるのではないか。今無理して厳しくしなくても、いずれ自然にいろいろと覚えてくれるのではないかと。そんな私は、息子を叱れずにいました。「障害があるのだから言っても分からない。可哀想な子どもなのだから、優しくしてやらなければ」 心のどこかでそう思っていました。悪いことをしても、どなりたい気持ちを抑えて、必死につとめて冷静に言い聞かせていました。でもそのブレーキがきかなくなると、ほんのちょっとしたことでパーンとはじけて、月に2回くらいは叩いてしまっていました。

でも、息子と向き合うようになって、私の考えは変わりました。この子は不憫じゃない。可哀想じゃない。この子にとって、これが「普通」なのだ。親が不憫だと思ってしまっては、この子の未来はない。障害に遠慮していてはいけない。障害があろうがなかろうが、分かっていようがなかろうが、親として言うべきことは言わなくては。やるべきことはさせなくては。たとえ、それが、人よりかなり時間がかかることだとしても。

それからの私はちょっと怖い母?になりました。悪いことをすればがっしりと抱き締め、めちゃ怖い顔で「だめっ」 家の中であれば抱っこの体制をとり、泣き叫ぶ息子を抱えて、何が悪かったのか、母がどんな気持ちなのか、時には自分も泣きながら訴えるようにしました。2、3日は大変でした。一日中泣いてるような日もありました。でも、母の本気を伝えようと、私は必死でした。
不思議に指示が通りやすくなり、手をあげることがなくなりました。親として叱らねばならない時に、叱れなかった私。当たり前のことができなかった私。息子を受け入れることができるようになって、それが可能になりました。
不思議にそれ以来、息子に言葉らしきものがぽつぽつ。「ママ」「マー」「ママママママ」などと、私のことを呼ぶようになり、パパも「パー」など、ことば全部でなくても、一部を言ったかのような発語が出てきました。もっともそれらは、まだまだ確実なものではなく、「あれ? 今、何か言った? あれっ?」という、限りなく親の願いからくる「思い込み」の類いのものではあるのだけど、おうむ返しすらなかった息子に、発語らしきものが聞けるのは、親としてとても嬉しいことでした。

障害児は確かに手がかかり、程度によっては自立できるかどうか分かりません。でも、健常児だって、みんな誰かしらのお世話になって生きています。誰にも頼らずに生きている人など、ひとりもいないはず。障害児をもつ家庭は、他人に助けてもらうことが多いかもしれないけど、障害児を抱えて、なおかつ明るく楽しく、家の中が太陽のようであったなら、その姿が、健常者の心に大事なものをきっと思い起こさせてくれるはず。それが、助けてもらえたことへの大事なお返しじゃないのかと思います。障害児を抱えていても、楽しく暮らしている家庭はたくさんあるし、健常児でも、家の中が冬のように冷たくさめきっている家庭も、これまたたくさんあります。「障害」と「不幸せ」とは、必ずしも結びつかない。そんなことを実証できる家庭に、私たちがなれたら、とても幸せだと思っています。

 

●自分の意志を伝え始める(6/24のセッション)

重たい息子と、手をつないで行けるようになった、Yさんのところ。
でもこの頃、私の気持ちがゆらぐせいか、息子もちょっと落ち着きなく、崩れぎみ。このところ、心晴々として落ち着いていたのに、私の心はちょっとしたことで、すぐ曇りになってしまう。まるでこのつゆ空みたい。

理由は進路のこと。といっても、「まだ2才10ヵ月の子どもの進路を、今から心配しても仕方ない」と言われそうだけれど。さいわい、情報をくれる先輩ママが、私にはたくさんいて、県内外の療育情報がもらえるのです。できれば、地域の理解を得るためにも特殊学級へ入れたいのだけれど、その現実の厳しいこと、厳しいこと。「近くの特殊学級って、読み書きがある程度できて、先生とことばでコミュニケーションがとれて、身辺自立できてないとダメ。かなり障害の程度が軽くないと入れないらしいよ」「特殊学級に入れても、他に重い障害の子どもが入ってくると、その子に手をとられて、先生の手が足りなくて、軽い子は毎日自習状態になって、ほっぽらかしになってしまうんだって。それで、重い子が伸びて、軽い子が伸び悩むっていうこともあるらしいよ」「学校見学して、いい先生だと思って入れたら、その先生が転勤してしまってがっかりって話もよくあるらしいよ」その他もろもろ・・・。つい取り越し苦労してしまう私は、悩んでしまって・・・。

Yさんいわく、「そんなにできないと特殊に入れないの? それじゃ特殊の意味がないよね。もし手のかかる子が入って来たら、先生を増やしてくれればいいのにね。まだまだ理解がないよねえ。でも障害児教育に前向きな学校なら、たとえ先生が替わったとしても、学校全体の雰囲気はそんなに変わらないと思うよ。これからどう伸びるかわからないし、情報を集めながら、ゆっくり考えていきましょうね。そればかりにとらわれてしまうと、今のお子さんが見えなくなってしまうから。ママは、今子どもと一緒に立っている気持ちと、先の事を心配する気持ちを両方もっていてね」

最近、「いや」を言葉として使えるようになり、指差しもすごく盛んになりました。おもに指差すものは、家電製品。それも時計、エアコン、リモコンなど、かなりこだわりっぽい。でも、自分の意志をなんとか私に伝えようとする意欲が出てきて、親としては嬉しいかぎりです。それに反比例するかのように、自分を叩く、物を投げるなどの問題行動が、ずっと減ってきました。名前を呼ばれると手をあげることは、以前から自宅ではできていたのだけれど、保健センターのお遊び会ではなかなかできなかったのが、このあいだ参加した時は、言葉はなくても、素晴らしい笑顔つきで、元気に手をあげてくれて感激!
以前は、私の首に手をまわすこともできなかったけど、この頃は、手を首にまわして、熱烈な「チュ~」をしてくれます。でもちょっと出っ歯の息子、お口をぐりぐりとこすりつけてくるので、私の口が痛い~。まあ、男の子なので、今のうちしかしてもらえないだろうから、有り難く(?)受け止めております。
外見的には発語はなく、自閉っ子そのものだけれど、内面的には成長してるなあ・・と実感する日々です。


●うれしくて泣く(?)息子(7/8のセッション)

重たくなった息子は一緒に歩いてくれるようになったけど、自動ドアにこだわっていて、見つけては寄りたがり、張り合いながら着きました、Yさんのところ~。

土曜日から、ちょっと・・というか、かなり落ち込んでいた私。
土曜日、友達に誘われて、音楽療法の体験教室に行った私たち親子。車を飛ばして30分あまり、初めての土地で初めての教室。慣れないところが苦手な息子は、嫌がって入りたがらないし、やっと入っても、ドアの開け閉めにいそしむ息子。いざ音楽療法が始まっても、ちっとも息子は落ち着かない。周りには、自閉ぽい子ばかり、息子を含めて5人。みんな落ち着いてセッションを受けてる。みな息子より年上だから、しかたないのかもしれない。けど、けっこう自閉が重そうな子でも、ちゃんとお返事もできてるのに、うちの子ったら何もできない。息子の障害って、もしかして私が思ってるよりも、ずっとずっと重かったのかなあ・・。

そして、そこで出会った子どもたちにもショックを受けて。その子たちの親御さんにはすごく失礼だと思うのだけれども、もうすぐ小学生になる子でも会話ができない。奇声をあげながら、ふらふらと飛び回る子どもたち。・・・息子も、数年後にはこんな感じなのかなあ。私は、息子の障害を受け入れたつもりでも、ちっとも受け入れてなかったのかもしれない。「いつか伸びて、普通になれるかもしれない」という希望を、心のすみにがっちりと持ち続けていたんだということに、現実をつきつけられて気がついた・・。

私の一生って何だろう・・・。一見すれば普通に見える、でも障害のある息子を抱えて、世間の冷たい目にさらされながら、ずっと生きていかなきゃいけないの? 私の人生って、息子のしたことの後始末で終わるの? いつまでたっても解放されない心の重さ。息子に障害があるとわかってから、ずっと心のどこかに「心配」がひっかかっていて、心から安らげる時がない。誰か、この重荷を下ろして・・。誰か、替わって・・。

Yさん、「そうかあ、トッキーは落ち着かなかったんだあ。ママがその時不安じゃなかった? ママの不安を感じとったり、その場にいる人の不安を感じとって、きっと落ち着かなくなってしまったんだねえ。僕がうまくいかなかったから、ママが落ち込んだって、心配なんだねえ」 うわ~んと泣く息子。
Yさん、「前にすごく不安になった時は、ここで出会った自閉症の子のママに会ったことがきっかけだったよね。今度は何だったのかな?」
私「・・う~ん、たぶん、息子よりも大きい子たちに出会ったことだったと思う。息子ももしかして、伸びなくって、ずっとこのままなのかなって、先のことを心配してしまって。どっかで、“こんなに頑張ってるんだから、普通に近づいてほしい。伸びて欲しい”って思ってるんです・・・受け入れたつもりなのに、受け入れられなくって」
Yさん、「それは親ごころだもの、仕方ないよね・・・」
吐くだけ吐くと、人間ちょっと元気になるものです。Yさんにいろいろ話して、すっきりしました。

私、「このあいだテレビで、成人したダウン症の人たちの自立についてやっていたんです(NHK「にんげんゆうゆう」)。障害をもっていても、適当な時期がきたら自立させるべきだというダウン症協会の会長さんの話に、とても共感をおぼえました、私も、ぼちぼちでも息子が自立できるように、今から頑張りたいと思います。障害があるから分からないだろう、できないだろう、無理だろうと思っていては、何も進まないですものね。たとえ人よりも時間がかかっても分かってくれるし、できるはず。今は、着替えも補助を減らして、自分でやる割合を増やしています」
Yさん、「そうだよね。繊細さゆえの不安があるから、時間はかかるかもしれないけど、トッキーだって、ここに来た時より格段に成長してるもの。障害をもっている子どもの親御さんたちが、山を借りて、3家族で“しいたけ栽培”してる例もありますよ。作業所も人が一杯で入れないっていうけど、わが子のために作業所つくってしまう親御さんもいるしね。なかなか障害児がいきいき働ける場ってのは少ないんだけれど、そういう場が少しでも増えていくといいよね」

この頃、私は、上手な泣かせ方(?)を発見しました。「ママは、トッキーが大好きでチュー」といいながら、ちゅーをすると、涙をぼろってこぼして泣いてくれる。
Yさん、「ママに大好きって言われて、嬉しいんだよねえ。よかったねえ」 また泣く息子。
息子、相変わらず言葉は「いや」だけですが、この頃たま~~~~にだけど、おうむ返しで「パパ」を言います。ママの気分は複雑。なぜ、こんなに面倒みてるのに、「ママ」って言ってくれないんだあ~~!!!
先生いわく、「ママは一心同体だから、呼ぶ必要がないのね。パパのほうが早く出るって場合が多いですよ」 う~む、そうかあ。でも、「ママはど~れ?」「お母さんはどこ?」って聞くと、間違いなく私を指さすから、自覚はあるらしいし。まあいいや、気長に待とう。

先のことは不安で仕方ない。けれど、出産の時の状況を考えたら、もっと重い脳障害を抱えていたかもしれない、いや、命すら危なかったかもしれない息子。自閉傾向はあいかわらず。でも息子は、公園中元気に走り回り、らせんスベリ台を逆からするする登り(おいおい)、お腹が減れば、元気に納豆ご飯をおかわりしてる。元気な息子、感謝感謝。


●励ましの抱っこ(8/5のセッション)

暑いあつい中を、すっかり手をつないで歩けるようになったわが子。自動ドアやエレベーターに吸い寄せられるのを必死に止めながら、行ってきました、Yさんのところ~。

今日もYさんが来ると、待ってましたとばかりに「いや~、うわ~ん」と泣きだす息子。

実は先月、風邪で高熱を出したあたりから、上手に出ていた「いや」が一時止まってしまったのです。ぼちぼち戻ってはきたものの、最盛期に比べると2~3割程度。「せっかく出た言葉なのに、なぜ?」と、私は最大に落ち込みました。
そして間の悪いことに、風邪の時期と前後して、旦那が子ども向けのビデオを買ってきたのです。ビデオ離れしかけていた息子が、また夢中になってビデオを見るようになり、以前より私にべたべたしなくなり、「言葉が止まったのは、無神経な旦那のせいだ~~~!」とばかりに落ちこんで、旦那をとても責めてしまいました。

Yさん、「う~んよく泣けてるね。いい感じだよ。いやを言わなくなったとはいうけど、ここぞという時は言えるのね?」 
私、「はい。前より少なくなったけど言えますし、いやを表情で表すことも、以前と同じようにできます」 
それから、いろいろと声をかけて、慰めの抱っこをしてみました。この頃始めた音楽療法のこと。先月末に実家に帰省したこと。いろいろ声をかけ、それに息子は泣いて反応はしていたけれど、あれれ、反応はちょっとおとなしいなあ・・・。
先生、「う~ん、何か心にひっかかりがあって言えなくなったという感じじゃないね。これから“山を越える”きっかけになるのかもしれないね」 
山? この間、ひと山越えたばっかりなのに。まだ山があるの~~? 私からYさんに替わっていただいて、息子を抱っこ。たまたまそばにいた援助者の方にもついていただいて、私が足を担当、3人の抱っこになりました。

Yさん、「トッキー、もっと“いやいや”って言っていいんだよ。言葉にしたいことが一杯一杯あるのに、言えないのは、つらいねえ。苦しいね~」 言葉をかけられるたびに、全身に力を入れてそっくり返り、すごい暴れようのトッキー。3人がかりで抱っこしてるのに、力が強くてあやうく逃げられてしまいそう。
Yさん、「“いや”じゃなくって、“ママ”って言ってもいいんだよ。ママって言ってごらん。ママって言えたら嬉しいね。ママって言ってごらんよ~。本当は言いたいんだものね~」
息子、Yさんの声かけにそっくり返って大泣きしつつも、ごくごくたまに「ママ」らしき言葉(?)も聞かれる。ママというより、「モア~モア~」だけれど、それでも私にとっては嬉しい言葉。
3人がかりの「励ましの抱っこ」は続き、泣きながら次第に咳き込み始め、しまいに吐きそうになる息子。「ケホケホ、ウエ~、オエ~」 ほんの少しタオルに戻してしまいました。そこでとりあえずセッションを中断。私のお腹にのせてうつぶせにしました。まだ泣き続け、咳き込み続ける息子。
Yさん、「咳こんで吐きそうになるのは、“歯止め”なのよ。こうして励ましの抱っこで、心の奥深くまで関わっていこうとすると、歯止めをかけようとして咳き込んでしまうのね。これからこの歯止めを外していかなくちゃ。大変よ」
うわ~、これが「山」だったのかあ~~~。そういえばつきみさんとこのくますけくんも、よく吐いてたっていってたっけなあ~。
Yさん、「でもそれができるってことは、お子さんが内面的にとても成長してきてるっていうことだからね。落ち込まないで頑張りましょうね。家では難しいセッションだから、ここに来た時にやっていきましょうね」

不思議に翌日から少し甘えが戻ってきて、私ににっこりとほほ笑み、べたべた甘え、まとわりつくようになりました。「いや」の発音も、心なしか、よくなってきたように思えました。

●1年間の成長!(8/14のセッション)(息子満3歳)

重たい息子と手をつなぎ、歩いていきます、Yさんのところ。

今回のセッションで、Yさんとのセッションは終わりです。息子も3歳を過ぎ、「励ましの抱っこ」に入ると、首をしっかり保持しないとうまくできない。それには、Yさんよりもっと体力のあるAさんへ・・というのが理由。次回は引き継ぎなので、Yさんも一緒のセッションだけれど、ず~っとずっと御世話になっていたので、なんともサビシイ。

今回のセッションで、息子は足を押さえていました。以前にも足を押さえていたことがあったので、出産後の点滴の痛さか、それとも転んだ痛さかと、いろいろ話しかけるけどあまり効果なし~。でもあまり何度も手をやるので、Yさんに、「もっとよく見てみたら?」と言われてよくよく見たら、しわと見間違うくらいの細いほそい小さな傷が~。そうか、これを分かってほしかったんだね。

息子は8月で満3歳になりました。

去年の今ごろは目も合わず、ことばも指さしすらもなく、真っ暗な気持ちで毎日すごしていました。多動も今よりずっとひどくって、公園へ行くといきなり外の道路へ飛びだすので、一瞬たりとも気が抜けませんでした。公園の遊具もそれらしく遊べず、四方八方走り回り、下に落ちているものは何でも口に入れてしまっていました。唯一遊べるのはブランコだけ。それも、私が一緒でないと乗れませんでした。
家の中ではビデオばかり。ビデオがついていればご機嫌でした。でも、ビデオと一緒に歌ったり踊ったりはできず、それらを一緒にしようとすると怒りだし、かえってひとりのほうが楽しいのではとすら思えました。
私は、何か要求がある時だけ呼ばれる便利屋さん。いたずらを止めれば髪をつかまれ、かみつかれ、「ママ」とすら呼んでもらえない、ただのお世話役。
2歳といえば言葉がでてコミュニケーションが出てきて、一番かわいらしい時期なのに、子どもを育てるという楽しみが全く見いだせない暮らし。毎日毎日、ただ一日が早くすぎて欲しいと思うばかりで、真っ暗なトンネルのなかにいるような気持ちでした。

あれから1年。
目は合いづらいけれど、前よりはずっと合うようになり、はっきりした言葉は「いや」だけだけれど、それを使って前よりずっとコミュニケーションがとれるようになりました。なんでもかんでも指さしまくって、私に答えを言わせます。
公園でも外に飛びださず、ブランコもひとりで少しだけなら乗れるようになり、すべり台やジャングルジムがお気に入りで、公園での時間を楽しめるようになりました。
ビデオの時間もずっと減りました。相変わらず振りマネも歌うこともできませんが、面白い場面を見て笑うことができるようになりました。ビデオがついていても、私がそこに一緒にいることを望むようになりました。家事ははかどりませんが、嬉しい変化です。

「いや」がいえるようになってから、かみつき、ものを投げつけるなどの問題行動は、薄紙をはがすかのように、いつの間にか減りました。今思えば、ぴっかりさんの本にあるとおり、問題行動は本人の苦しさの現れでした。抱っこでその苦しさを吐き出し、理解してもらい、楽になっていったのでしょう。

ママとはまだ言えないけれど、「ママは誰? おかあちゃんは誰?」と聞けば、間違いなく私を指さす息子。この頃は、「パパは?」と聞けば、「パッパ、パパ、パ」と言いながら旦那を指さします。・・・・なぜママじゃないの?とやきもちをやきましたが、Yさんいわく、「ママは一心同体だから、パパのほうが早く出る子はわりあい多い」とのこと。・・・納得。

暑いせいか、シャワーが大好き。そしてシャワーのあとタオルでくるんでやると、私にぺったりと身をもたれさせて甘えてくれるわが子。・・う~ん、母の醍醐味・・・。

相変わらず息子は「障害児」です。でもその障害もわが子の個性だと、この頃やっと思えるようになりました。


●「いやだ~」のウラにあったもの(9/9のセッション)

重たい息子と手をつなぎ、今日も通います~。

今日からセッションの担当が替わりました。Yさんから、Aさんへのバトンタッチ。理由は、息子が大きくなったので、女性のYさんでは体力的に大変なのと、励ましの抱っこが入ってくるので、首をしっかりささえる必要があるとのこと。今日は引き継ぎということで、YさんとAさん、援助者二人という、とても贅沢なセッションになりました。

今日のセッションに来る数日前、私はまた落ちこんでいました。
息子にも集団の体験をさせたい、お友達とすごす時間をそろそろ作ってもいいかと思い、市の福祉施設「C学園」に母子通園してみたのです。結果は・・・部屋にもなかなか入れず、「いや~~!」を連発。やっと入れたと思ったら、以前から顔見知りの親子を見たとたんに、また強烈な「いや~~!」攻撃が始まり、いくらなだめても言い聞かせても部屋に入らず、出口のドアへ引っ張っていかれる始末。仕方なく3時間の予定を繰り上げて、半分ほどの時間で帰ってきたのでした。
帰る途中、運転しながら涙が出てきてしまって。「なぜうちの子だけ、こんななのかなあ。みんな楽しそうに遊んでいるのに。そもそも、なぜこんな思いをしなきゃならないのかなあ。息子に障害がなければ、こんな余計な苦労をしなくてすむのに・・」 何も心配なく幼稚園に入れる友達の子どもたちがうらやましくって、わが子の様子が情けなくって、久しぶりにずど~んと、落ち込んでいた私でした・・・。

そのあと、つらさを、Yさんあてに延々メールでうちあけました。その後、主人に話を聞いてもらって、少し楽になりました。
翌日、Yさんからメールをもらって、その短い文章に、思わずはっとさせられました。「トッキーが、この頃いい調子だったので、期待もあったのかな」あ~そうだ、私はつい息子に期待をしていたんだ。「いや」も上手になり、少し落ち着きも出てきて、A学園の先生にも、「落ち着きましたね~」と褒めてもらえたばかりだったので、「これならいけるかも・・」と余計な期待をしてたんだ。むすこが、慣れない場所や人が苦手なのは分かっていたはずだったのに。期待が先に立ってしまって、息子の個性を思いやってやる余裕がなかった・・。
その文章ではっと目がさめ、立ち直り、セッションには元気に臨むことができました。

Aさんたち、「う~ん、何が嫌だったのかな。最初嫌がっていても、お部屋には入れたんだよね。その後、イヤって言い出す時に、何かあった?」 
私、「そういえば、隣に知り合いの親子が座って、話しかけてこられてから、スイッチが入ったようにイヤイヤになってしまいました」 わ~っと泣く息子。
Aさん、「そのお母さんと、どんな話をしたの?」
私、「いえ、普通の世間話でした。そのお子さんも発達が遅めで、こわがりさんで、なかなか集団に入れないのを悩んでいるんです。以前からおつきあいのある方なのですが」 
Aさん、「そうかあ。もしかして、その人の前で、自分のこと、障害のことを言われるのが嫌だったのかな? 自分のことを言われるのが、いたたまれなかったのかな?」  ドンピシャ!だったようで、わ~んと泣きだす息子。
私、「そうだったんだあ。そういえば、いつも通っていたお気に入りの公園に、自閉っぽいお子さんを連れたママが来るようになって、知り合いになったんです。その子が来るようになってから、息子はその公園が嫌いになり、誰もいないか確認しないと中に入りたがらなくなってしまいました」 “公園”という言葉に反応し、わ~んと泣きだす息子。
Yさん、「そうかあ、自分のことを人に言われるのが嫌だったんだね。でもママだって、たまには分かってくれる人に愚痴こぼしたいんだよ。僕の愚痴だってちゃんと聞いてあげるからさ。ママの愚痴もたまには聞いてあげてね」
・・・息子、あまり納得してなさそう・・・

Aさん、「ママのその時の気持ちは、どうだったかな? C学園へ体験に行く時に」 
私、「う~ん、やはり、行く数日前から緊張してました。食事もとれなくなってしまったり。慣れないところに行くのが苦手なのは、私も同じなんです」 
Aさん、「そうか。じゃあ、ママも行くのが嫌だったんだね」

「行くのが嫌」・・・その言葉を聞いた時、なぜか胸がざわざわとしました。そうだ、私は息子を連れていくのが嫌だったんだ。施設に対して偏見をもっているつもりはまったくなかった。施設の子どもたちもみんな可愛かったし、先生がたの指導も専門家らしくきびきびとしていて、手厚く見てもらえることにも有り難いと思っていた。でも・・心の奥底では、障害者施設へ連れてくことで、息子の障害を認めるのが嫌だったんだ。慣れないところに行くのが嫌だったんだ。でも、「息子の発達のため」と思い、頑張ろうとしすぎて、自分の気持ちにすら気づくゆとりがなかった。
嫌だった。そう自分で認められた時、ちょっと涙がこぼれ、気持ちがすっと楽になった。息子は、私のそんな気持ちを、敏感に感じ取っていたのだろう。だからあれほど、しつこく帰りたがったのかもしれない。彼はそういう奴だ。私が居づらい場所にいる時、決まってぐずって私を助けだしてくれる。その後、上手に息子は甘え泣きができて、親子ともにちょっとすっきり。

その後、やっぱり自分のことを言われるのは嫌みたいだけど、「やだ~」が、日に日にちょっとずつ上達していく息子です。公園でも他のお友達のしぐさをみて、ちょっとだけだけどマネしようとしたり、笑ったり。以前はまったく関心を示さなかったので、嬉しい変化です。


●その後のトッキーと私(息子3歳半)

「ママ、おちゃ、ほしい」「ママ、りっこ(じゃがりこのこと)、ほしい」「おっきい、バス、こわい」「ママ、バス、かく(書いての意)」「うんち、でた~」「とっき~、おそと、いく」
息子3歳半。息子が今話せる言葉の一部です。

その後、息子が電車嫌いになったこともあり、抱っこ法のセッションは、10月でいったん卒業となりました。なぜ電車嫌いになったのかは不明なのですが、Yさんいわく、「もう抱っこに来なくてもいいと、本人が判断したんじゃないの?」 まだまだノドの力が抜けず、心配な要素はあるのですが、とりあえず、お休みさせていただくこととなりました。

去年の10月から、隣の市の障害児通園施設に、週一度の通所が始まりました。隣の市のものなので、利用するにも、日数制限やいろいろ受けられるサービスが限られるものはあるのですが、自分の住む市の施設を見学した時の大暴れとは段違いに、息子が隣の市の施設の雰囲気にすんなり馴染んだのと、距離の問題(うちは市境なので、隣の市の施設のほうが距離的に半分以下で通える)などいろいろあり、通所を決めました。最初の頃こそ、慣れずに私の側から離れなかったものの、3回も通ううちに、だいぶん落ち着き始めて、今では安定して通えるようになりました。

10月に、毎月配本してもらっている「童話館・ぶっくくらぶ」から、『もこもこもこ』という絵本が届きました。「もこもこ」「ぷう~」などという擬態語がほとんどのこの絵本。なぜか息子は気に入ったらしく、その絵本をきっかけに、おうむ返しが出始めました。
時を同じくして、息子は歌う(?)ようになりました。その歌というのも変てこなもので、「ぽっぽっぽ~、ほらやるぞ~、にこい~」や、「ねんねん~、でんでん~、だい~」というふうに、レコードの針が飛ぶように、あちこち飛んでいるのです。不思議に、テレビやビデオ、CDの曲よりも、へたくそでも、私の歌った曲のほうが頭に入りやすいようでした。

それからぽつぽつと、言葉らしきものが増え始め、12月から1月にかけて、いっきに2~3語文が出始めました。A学園の先生も、ポーテージの先生がたも、「こんなに一気にしゃべりだすのは見たことが無い」とあっけにとられるほど。とはいっても、長い文章はパターン的だし(「おっきい、バス、こわい」など、一度覚えると、関係ない時に唐突に喋る)、会話もまだまだ一方的。「おにぎり、ほしい」「おみず、のむ」などの自分の気持ちは言えても、相手の言葉に対して返事をすることは、いつも使ってるパターンでないと、かなり難しいです。
それでも、親としては嬉しくてたまりません。ちょっと前まで、言える言葉は「いや」だけ。それ以外は宇宙語ばかりだったのに、今はおうむ返しでも、パターン言葉でも、とりあえず「日本語」を話してくれるのですから。それに、自閉の子は一般的に、自分の感情を表現するのがむずかしいと言われているのですが、息子は、「いや」「いたい」「こわい」などを、わりと適切に使うのです。今、息子はなんでも「こわい、怖い」と言います。今まで言えずにきたことがやっと言えて、ある意味で安心してるのかもしれません。

言葉が出始めて、気づいたことがありました。それは、もう1年以上も読んでない絵本のなかのセリフや、赤ちゃんの時に話しかけていた私の言葉のマネが、出始めた息子のことばの中にぽつぽつ混じっていることです。「うわ~、分かってないようで、分かってるって、本当なんだあ~~~」と、改めて実感した出来事でした。

言語面はかなり伸び、嬉しい反面、多動はあいかわらず。食事の時も、自分が食べ終ると立ち上がって走り回ってしまうし、朝礼や課題の時にもなかなかじっとはしていられません。これが目下の悩みです~。

さいわい、春から、自閉傾向に理解のある週3回の幼児サークルに通うことができるようになりました。初めての母子分離。これから不安なこともいっぱいですが、母子ともにぼちぼちと頑張っていきたいと思います。

息子の障害を知った2歳の夏。私の心は重たく、治しようがないと想うほど深く傷ついていました。今の私があの時間に戻れるのなら、私は自分に声をかけてあげたい。「楽観はできないかもしれない。でもそれほど悲観することもないんだよ」と。でも、私には先が見えなかった。だから、がむしゃらに必死に頑張ってきました。いえ、先が見えないからこそ、頑張ってこれたのかもしれません。
幼稚園、就学・・まだまだ心配は山積みだけれど、さいわい私は、私を支えてくれた沢山の人々に恵まれました。支えてくださった皆さん、本当にありがとう。これからもお互い支え合っていきましょうね。

落ち込む時があったっていいよね。「子どものために、常に明るく笑顔で」なんて言わないで。障害児のママなんだもの。けっこう大変なんだもの。そんな時は泣いちゃえ、落ち込んじゃえ。そしてお互い助け合い、また励ましあえばいいよね。

息子との一日のはじまり。
息子、「ママ、おきる?」 
私、「いや。おふとん、かける~! ねんね~!」 
息子、「おふろ、はいって、ねようね~」 (おいおい、今は朝だっちゅ~の)
意味不明の言葉、意味なし言葉が多いけど、私が泣けば一緒に泣いて、「ママ、ゴシゴシ~」と、自分の涙より私の涙をふいてくれ、「ゴメンネ、ゴメンネ」と繰り返す。こんな息子が可愛く憎たらしく、時にマリア、時に鬼婆と化す私・・・。

(2003年2月)


●あとがき

この文章は、私が書いた文章に、ぴっかりさんが手直しをしてくださったものです。今回改めてぴっかりさんがホームページにアップしてくださいましたが、これは私やぴっかりさんだけでなく、いろんなかたのパワーをいだだいてここまで形になったものだと思います。

私がこれを書いていたとき、「ひとあし掲示板」に集う仲間の中には、近くに援助者がいなくて、抱っこ法の援助を受けたくても受けられないかたもいらっしゃいました。そんなかたたちに、抱っこ法のセッションに通った様子を書くことで、日々の育児のヒントにしてもらえたら、みんなの力になったらと思い、セッションの時の様子を思うまま綴っていたものが、そもそもの始まりでした。
掲示板のみんなのためにと思いつつ、逆に皆さんからの返事が楽しみで、セッションの時の様子を一生懸命思い返し、心を整理するかのように書きつづっていました。それが私のパワーにもなり、通い続けるエネルギーにもなりました。

この文章が存在するのも、抱っこ法のセッションに通い続けられたのも、掲示板に来ていたみんな、そして、ぴっかりさんのおかげです。この場をお借りして感謝申し上げます。本当に有り難うございました。


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