★カメ姫さまの忘れもの★(マリママさん)

 マリママさんは、以前、このサイトにあった掲示板の常連さんだった方。そのマリママさんから、「抱っこ法体験記」をいただきました。ママが元気を取り戻した直接のきっかけは、抱っこ法ではありませんでしたが、現在、そして将来にわたってわが子と付き合っていくのに、抱っこ法の考え方は不可欠だと考えていらっしゃいます。

 ここで書かれているのは、「私は、こうして、わが子の障害を治した!」ということよりも、「療育技術の表面的な優劣に目を奪われるのではなく、わが子の気持ちに寄り添うことこそが、子どもの成長を支えていく」ことの発見です。まりちゃんは現在、「障害児」のエリアから抜け出ましたが、もし、そうでなかったとしても、親子は出会い、寄り添い続けたに違いないと思います。そのような視点で、この文章を読み、元気をもらいたいものですね。 


 私の一人娘のカメ姫さまは、もうすぐ小学校に入学します。就学検診も問題なく終了することができました。
 言葉や発達が遅れた時期があり、その中で様々な試行錯誤をし、真っ暗な闇の中を手探りで歩いてきましたが、少しずつ明かりが見えるようになって、ここまで来ることができました。道のりは平坦ではなかったけれど、たくさんの人々の優しさにも触れ、今まで見えなかったものが少しは見えるようになりました。
  本来なら、もう遅れがなくなった娘について、この場で書くべきではないかもしれません。でも今までのことに区切りをつけるためにも、そして抱っこ法と出会って私たち親子に起こった様々な変化についてお知らせしたいと思い、投稿することにしました。


●生まれた頃

 カメ姫さまは予定日の1か月半前に、切迫流産による緊急帝王切開で生まれました。赴任先のヨーロッパの病院で、1600グラムで生まれた娘は、まるでお人形のように繊細でしたが、肺機能などはしっかりできており、その後約1カ月の入院を経て連れて帰ることができました。
  その後の成長は、小粒ながらも順調で、喘息の兆候があった他は問題なく、よく笑うかわいらしい女の子でした。気になることと言えば、あまり抱かれたがらないことでしたが、標準より随分小さいカメちゃんを抱っこすると壊してしまいそうで、むしろ抱っこしないでいるほうが安心でした。しかし、喃語も順調にあり、盛んに指さしもします。私や主人の目を探して、視線を合わせてにっこりします。最初の言葉も「ママ」「ダダ」などごく普通にあり、ちょっと言葉は遅めでしたが、赴任先の子供達は、二カ国語の言語環境でかなり言葉が遅めだったので気になりませんでした。


●2才の頃

 その後2才2カ月で帰国しましたが、私の再就職のため、程なく保育園に入園しました。環境が変わったことに相当動揺しているようでしたが、言葉もそれほど多くはないしと多寡をくくり、すぐに慣れるだろうと当時の私は軽く考えていました(今から考えれば、この時、揺れる気持ちを受け止めてあげればよかったです)。
  保育園では、最初はなかなか慣れず、CDプレイヤーの前で童謡を聞いたり、子供達の群れから離れてすごしていることが多かったようです。同じくらいの年齢の子はすでに言葉で意思を伝えることができていて、その中でとても混乱し自信を失ってしまい、あまり人と目を合わせなくなりました。そして恐がりがひどくなり、すぐ人の群れから離れてしまいます。
  私たちにとって幸いだったのは、入園した保育園が小規模で、先生達がとても熱心で良心的だったこと。娘は最初、図書館に入ることがひどく恐がり、お話会やパネルシアターに出かけても、入り口で固まって入ることができませんでした。そんな時も、一番好きな先生が残ってくれて、他の子が終わって出てくるまで、図書館の庭で二人でレンゲをつんだりしてくれました。決して無理強いせず、娘の心に寄り添ってくれた保育園の先生方には心から感謝しています。
  そんな調子ですから、子供達と一緒に遊ぶどころではありません。言葉の発達も停滞していましたが、2才8カ月のときにカラスを指さし「カーカー」、犬を指さして「わんわん」と言ったときには本当に感激しました。それからキティちゃんが好きになり、「キティちゃん」と言いました。こんな具合に、好きなものの名前を覚えて言うようになり、この頃に始めた「こどもちゃれんじ」のしまじろうが大好きになり、そこから随分いろんなことを覚えました。単語から2語文へ、少しずつ会話ができるようになりましたが、もちろん同年齢の子と較べると信じられないほどの遅れです。

 今から思えば、赴任先でずいぶん現地の言葉を取り込んでいたようで、日本語との間でとてもあいまいな状況で、二カ国語と感覚の世界で漂っていたようです。また、私の勝手な解釈かもしれませんが、未熟児だったことで身体感覚の発達が遅れたため、不安感があり、抱かれるのを嫌ったり、そしてとても恐がりだったように思えます。2才頃から、ぶらんこや高い高い、おんぶなど身体を使った遊びが大好きになり、何度もせがんでいましたが、今考えると、身体感覚を促そうとして自分で求めていたのではと思われてなりません。だからやっと身体感覚が育ったころに日本に帰って、混乱の時期を乗り越えて、ほとんどゼロから言葉のビルを積み上げ始めたのだと今になって思えるようになりましたが、当時は「○才なら○語文」というような指標に縛られ、そして保育園や外で会う同じくらいの年齢の子と比較して、打ちひしがれ、何とかしないとと気持ちばかりが焦り、娘をひどく追いつめていたのは私でした。


●喘息(ぜんそく)と発達の遅れ

 いろんなことが積み重なり、限界に達したのでしょうか、3才を過ぎて喘息が重症化し、治療をきちんと続けても発作が頻発し、入院を繰り返すようになりました。ただでさえ恐がりな娘は、病院をひどく嫌がり、救急外来の待合室に入っても逃げようとして暴れ回りました。ほとんど毎週起こって、終わりが見えない発作と点滴に疲れ切り、暴れるあの子を押さえつけ、情けなさで涙を流しながらよく叱りつけていました。言葉で言っても分からず、叩きつけたことも一度や二度ではありません。しかし度重なる入院生活は、良いこともあり、24時間の付き添いをしている間に一緒に絵本を読んだり、絵を描いたり、心が随分通じるようになりました。たとえ言葉ではうまく通じ合えなくても、普通の子より遅れていても、病院という社会から隔絶された環境の中でふたりでいると、何かとても強い絆が芽生えてくる気がして、最後には入院をそれなりに楽しめるようになったから不思議です。
  その後、今でも私が最も敬愛する小児科の先生に出会い、地道な治療を続けることによって、喘息はおどろくほどコントロールできるようになりました。

 喘息が収まると娘はとても表情が明るくなり、当時は4才になっていましたが、赤ちゃんから2才くらいの子と仲良くするようになりました。4歳児のテーブルを嫌がって、お昼ご飯も2歳児の子のテーブルで食べたがり、お散歩も活動も、みんな2歳児のグループに入りたがります。先生が促して4歳児のところに入れると身を固くして、離れてしまいます。今から思えば、やっと辛い身体の症状から解放されて、言葉のレベルも会う子供達と遊んで楽しく暮らしていたのでしょう。でも私の目には、4才の身体をして2歳児の中に入って2歳児のようにふるまうカメ姫さまは異常としか思えず、このころから発達障害に関する本を読みあさったり、情報をほとんど取りつかれたように集めるようになります。

 児童相談所に面接の予約を取り付けて、出かけたのもこの頃です。そこでの診断は、「自閉傾向はなし。言葉の遅れはあるが、喘息や成育歴を考えると当然だろう。要観察。」というようなもので、安心したのですが、それにしても保育園で2歳児に固執する状態は続いていました。ちょうどこの前後に私の父親が末期癌で亡くなり、その看病や事業の後始末に私はかかりきりになって、娘にあまり目を向けることができない状態になりました。このころは保育園ではいつも泣きそうな顔をして、2歳児からさえも離れて、いつもお弁当袋を握っていたそうです。「ママがつくったおべんとう。カメちゃんのために。」と言っていたそうで、先生たちは「ママの心が離れたと思ったんでしょうね。お弁当だけが自分とママのつながりだと思っているみたいです」と言ってくれて、それを聞いた時は涙が止まりませんでした。


●追いつめられたような感じ

 父のことが片付いて、やっと娘に気持ちを向けることができるようになったら、今度は言葉の遅れ、そして相変わらず同い年の子を嫌がることなどが気になって仕方なくなりました。言語聴覚士のクリニックに助けを求め、通い始めましたが、そこの方針とは合わず、結局半年で止めました。母子同室で指導を行うのですが、カメ姫さまは私がそこにいることがうれしくてならず、出されるおもちゃを口に入れてこっちを向いて気を引こうとしたり、落ち着きが全くなくなり、指導にも集中せず、すぐ椅子から降りてしまいます。その様子を見た先生が「この行動は2才くらいのもの。これは障害でしょう」と言いました。その指導の後の私は、いつも追いつめられたような気持ちになり、、娘を叱りとばしたり、無理なことを要求したり、思えば鬼婆としか思えない行動をとってしまい、そんな自分を止められなくて、よくひとりで泣きました。今となれば、やっと私の気持ちが自分に向いてきたのがうれしくて、何とか私を元気付けたくてあんな行動をとっていたのだと分かるのですが、その時は発達障害についての知識を持ち始めたところだったので、その行動のひとつひとつが「多動」「衝動性」「目が合わない」などなど、抽象的な言葉に変換され、後ろにある感情にまで目がいかないのでした。

 クリニックには疑問を持たざるを得なかったので、次に通える所を探し、保健婦さんに相談しました。公立の機関はいっぱいで、とても入れないとのことでしたが、今までの状況を説明しながら涙をこぼす私に「本当は私立の機関を私たちがすすめる訳にはいかないんですけど」と言いながら、いくつかの心当たりを教えてくれました。


●出会い

 この中で偶然、自宅から徒歩ですぐのところにあり、発達指導を行っている民間の研究所が目に留まり、すがるような気持ちで発達検査の予約を入れました。この頃の私はカメ姫さまを「私の愛しい娘」というよりは、「何とかしなくてはいけない障害を持つ子供」と考えていたと思います。一刻も早く手を打たないと、この子はどうなるの!といつも考えていて、娘の遅れや、同い年の子と遊べないこと、すべてが許せなくて、しょっちゅうヒステリックに怒鳴っていました。そして言語聴覚士のクリニックで言われた「この行動は障害でしょう」という言葉が私の頭の中で鳴り響いていました。

 研究所の発達検査の日になり、不安でいっぱいでした。でも、そのちょっと前に車の運転中、前から大きなダンプが来て「ひゃーこわい!」と思わず言った私に、後ろの席のカメ姫さまがなぜか突然、「だいじょうぶよ、ママ。こわくないよ、あたしがまもってあげるから」と言いました。自分の耳が信じられませんでした。目から涙がぼろぼろこぼれます。あふれてくる涙を拭きながら、ここから、もしかして明かりが見えてくるのかも…という予感が心に広がっていきました。
  発達検査の担当の先生はやさしく、真摯な態度で検査にのぞんでくれ、その後の結果説明では「言語・発達は実年齢の4才8カ月に対し3才3カ月のレベル。自閉傾向は認められない」というものでした。「では発達の遅れの原因はなんでしょうか?」と迫る私に、「喘息で入院を繰り返したり、言語の発達に重要な時期に言語環境が変わったり、そういうことが全く平気なお子さんもいますが、感受性が強くてそういうことの処理に時間のかかるお子さんもいます。これから指導やかかわりを見直したら伸びていくと思います」という返事でした。それを聞いた私は、きゅうに足下の床が消えてしまって、安堵のあまりそこに自分が沈み込んでいくような感覚に襲われました。背中に羽が生えて、どこかに飛んでいきそうな変な高揚感に包まれて、娘と久しぶりにのんびりした気持ちで手をつないで帰りました。


●支えられて、わが子と向き合う

 保育園でも何度か先生と話し合いを持ち、私の苦しい気持ちをぶちまけてしまったこともあります。2歳児とだけ遊んでいるカメ姫さまを見るのが辛くて辛くて、先生たちもそんな私の気持ちを理解してくれて、やさしいながらも断固とした態度でカメちゃんを実年齢集団に加えるように促してくれました。 こうして私の気持ちが安定し、季節の移り変わりに見とれることができるような精神状態になったころから、娘の言葉が急に伸び始めます。

 家庭での言葉かけ(どんなささいなことでも言葉にしてカメ姫さまに話しかける。はっきりとした口調で常に目を見て)、できることからどんどんお手伝いをさせる(麦茶を注いで持ってこさせる、洗濯物をたたむなど)、絵本の読み聞かせ(聞いていないように見えるときも降り注ぐ雨のように読み聞かせることを心がけていました)、保育園での働きかけ、個別指導、そして脳を活性化するためには歩くことがすごく良いということで、たくさんの散歩をしました。散歩をしているうちに、かたつむりを見つけたり、落ち葉を拾ったり、ありにえさをやったり、いろんな楽しみが共有できるようになりました。ありに興味しんしんの時は図書館でありが出てくる絵本をたくさん借りてきたり、家で私がありの絵を描いて家族にして、そこから二人で物語を発展させたり(ありのおとうさん、おかあさん、赤ちゃんの三人家族で、土の中に住んでるの。大好物はおさとうよ。といった具合に)…。とにかく、興味のあるところを糸口に、楽しく語彙を増やせるようにしました。保育園でも個別指導でも、楽しい経験から得た言葉じゃないと生きたものではないですよ、と言われていたし、無理に語彙だけ教え込んでも、本当に心を乗せるものにはならないという点では私も前の言語聴覚クリニックの経験から痛いほど感じていました。


●抱っこ法との出会い

 このころ、ぴっかりさんのホームページに出会い、抱っこ法を知りました。このホームページに出ている遅れの原因は私にとって思い当たることばかりで、早速阿部先生の本を手に入れて読み、家でも私なりのやり方で抱っこ法を取り入れ始めました。きちんとした抱っこのセッションは自分ではできなかったので、泣いていると抱っこして「よーしよし、ほんとうはカメちゃんは○○したかったんだよね、でもがんばりすぎて○○できなかったんだよね、それがくやしくて泣いてるんだよね」とか言うようにして、言葉にできない気持ちを代弁してやるようにしたり、テレビを見たり絵本を読むときも膝に抱き上げてくっついたり。そうするうちに二人の中の境がなくなって、まるで二人が一人の人間になっていくような気がしました。

 5才4カ月頃には言葉で不自由することはなくなり、耳で聞いて理解する能力は年齢相応、しゃべるほうも4才半くらいと個人差ではよくある範囲になりました。恐がりも解消されてきて、初めての場所や経験も楽しめるようになり、同じ年齢の子供達と一緒にいて笑顔を見せるようになりました。初めての場所を怖がることは、例えば芋掘りの前には芋掘りを題材にした絵本を読んでやることがとても効果的でした。この頃、ハム太郎が大好きになり、出かけた着ぐるみショーの最後の写真撮影会で「ハム太郎さん、つぎはあたしと握手して」と自分でお願いして握手してもらえました。


●初めてのセッション

 ここまで伸びたのだから大丈夫かな、と思う反面、今まで私が娘を追いつめたてきたこと、喘息などの苦しみから抜け切れていないのではないかという不安、そしてまだ同い年の子供に対して緊張が見えること(このころ、一つ年下の親友ができた)は心配として残ったままでした。

 5才半を過ぎたころ、ついに一大決心をし、ぴっかり先生に直接援助を受けて抱っこ法に取り組み始めました。初めて行ったセッションでは、娘は驚くほどよく反応し、泣きわめき、汗だくになって泣き寝入りしました。感情が高ぶりすぎると喘息の発作になったという経験があった私は、泣きわめく娘を見てつらくなり、何度も手を放しそうになりました。
  そして、1時間以上に渡ったセッションのあと、本当に面白いことが起こったのです。、娘がぐったりして、歩けなくなり、声も出せなくなったのです。まるで声を失ったかのようでした。そして私に抱きついたまま、離れようとしません。首にうでを巻き付いて、身体を密着させてうっとりし、そのまま固まってしまったカメ姫さま。私はコアラのようにしがみつくカメ姫さまを抱いて駅まで移動し、そのままの姿勢で2時間以上電車に揺られてながら帰宅の途につきました。電車にすわっていると、今までのことが思い出されて私も涙が止まりません。帰りの京成線の窓から見えた北千住あたりの夕日は息をのむほどの美しさでした。娘は思い出したように私の耳もとに口を持ってきて「ママ…ママ…」と何度もささやきます。まるで赤ちゃんになったように4時間以上もそうやって過ごしたその日。私は自分も小さな赤ちゃんに戻って、赤ちゃんのカメ姫さまと一緒に子宮の中に戻っていくような感覚にとらわれながら娘を抱っこし続けていました。


●その後の成長

 それからカメ姫さまは俄然変わってきました。何よりもお友達との関わりの面で、すごく積極性が出てきました。フィールドアスレチックでも、先生が「カメちゃん、今まではこわいって言ってた遊具、きょうはあたしがんばるの。上まで昇るのって何度も言って挑戦して昇ったんですよ!!」と感激して報告してくれたり、迎えに行っても友達と楽しくお話している姿が見えるようになりました。

 次のセッションでは、「お友達と関わってほしいと思って、私が追いつめてきた」というようなことを私が言ったときに、身体を力一杯反らせて泣くカメ姫さま。帰りにはまた歩けない、声がでない赤ちゃんになってしまいました。不思議ですが、こうやって赤ちゃんになりきってしまうと、次の日からは積極的に動けるようなのです。私は抱っこをする度に娘が今まで忘れてきたものを取り戻し、そして私も今まで必死すぎて忘れてしまったものを取り戻しているような気がします。抱っこに会うまでは、娘を真剣に見つめているようでいて、そうではなく、自分が勝手な思い込みで決めていた「この年齢にふさわしい子供」にしようと必死になっていただけなんだと思うようになりました。いい所を見るより、足りないところばかり見て、そこを何とかしないとという見方しかできなくなっていたようです。
  そのころ、保育園の先生から、「4才のころに2才の子にくっついていたのも、2才のころに不安定な状態で通り過ぎてしまった、普通ならそこで得ることのできたものを自分で取り戻そうとしていたのだと思っていました。忘れ物を拾っているような。そこで忘れていたものを取り戻さないと次に進めないと思いましたよ」と言われました。私は年齢相応の発達のことばかり考えていましたが、先生はそんな見方をしていたこと、そしておそらくそれが正解だったことに目が覚めるような思いでした。

 抱っこで満たされるようになった娘は、いろんな意味で変わってきます。保育園でも大好きなお友達ができて、家でその子たちの話をして笑ったり、お友達が集まって遊んでいると「なーに?なーに?」と言って自分で入って行けるようになりました。今はさかんにだだこねをやっていますが、成長力が爆発している時のだだこねだということをぴっかり先生に聞いているので、不安になることはありません。そして今は、ミルク飲み人形をまるで自分の赤ちゃんのようにかわいがって世話をして、スーパーや散歩に必ずおんぶして連れていくようになっています。年齢にはそぐわない行動かもしれませんが、赤ちゃんのころ自分がやって欲しかったことを一生懸命取り戻しているように見えます。私が何かで叱ると、「ほかのみんなのママはやさしいじゃない! どうしてカメちゃんのママだけおこるの! やさしいママととりかえっこしたい!!」と言ったりもしますが、また突然赤ちゃんになってしがみついてきたりと、日々喜怒哀楽の感情をフルスロットルで使うカメ姫さま。どこかの本で読んだのですが、発達とは数限りない適応の積み重ねだそうです。娘が毎日いろんな経験をして、ちょっと見には分からないけれど、自分の力で一つずつ丁寧に適応を重ねていることを実感できるようになった、今日この頃です。

 

 これからまだまだ抱っこは続いていくでしょう。そしていわゆる年齢相応の尺度と違う行動もたくさんあると思いますが、娘が自分の意思で自分が忘れていたものを取り戻しているのだと思い、できる限り受け入れていきたいと思います(もちろん、簡単に受け入れられないことはあるでしょうが、とりあえず努力はします・・・)。私の場合、抱っこ法が発達の決め手になったというわけではありませんが、今まで必死で手探りで歩いてきた暗い森の中で忘れてきたものを取り戻すための素晴らしいきっかけを与えてもらいました。そしてこれからも娘が小学校、そして私たちの手を離れるまで、抱っこ法が教えてくれたことはずっと私の心の中に生きて行くだろうし、必要であれば、何度でも一緒に森の中に戻って忘れ物を探してあげようと思っています。


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