★それからのカメ姫さまとおかあさん★(マリママさん)

■はじめに

 以前このサイトに、抱っこ体験記(「カメ姫さまの忘れもの」)を投稿させていただいたとき、娘のカメ姫さまは、小学校入学を目前に控えた保育園児だった。カメ姫さまの発達がゆっくりだったための悩みや、喘息などの身体的な症状がようやく落ち着き始めたころで、明るい兆しを感じながらも、心は不安でいっぱいだった。
  あれから早いもので、5年の年月が過ぎた。いまでも多くのママたちが、子どもが低出生体重児だったとか、重症の喘息などの症状を抱えているとか、さまざまな要因で、その発達に不安を抱え、すがるような気持ちでネットをさまよっていることだろう――あの頃の私のように。

  発達がゆっくりなお子さんの成長の記録は、いろんな場所で読むことができる。でも、私が悩みのどん底でいちばん知りたかったことは、この子は「大丈夫」になるのか、ということだった、この子のすべてを笑って受け容れられる日は来るのか。
  今から思えば、子どもはそれぞれ違うし、発達がゆっくりだと一口に言っても、原因も成長の経過もその子その子で違っている。だから、「○○ちゃんも、幼稚園の頃は何もできなかったのに、いまでは高校生で部活動に夢中なんだって」というような話を聞いても、それがカメ姫さまに当てはまるわけではない。それでも、そういう話が聞きたかったし、そのころに集めた「ゆっくりさんが大丈夫になった」エピソードは、今でも私の心の中の「希望」というタイトルをつけたディスクの中にたくさん保存されている。
  もしかしたら、私がずっと前に書いた体験記を読んで、「その後のカメ姫さまのようすが知りたい」と思っている人がいるかもしれない。そう思ってこの体験記を書くことにした。


■先が見えない不安

  近況を言えば、カメ姫さまは小学校高学年になり、元気いっぱいで暮らしている。不安いっぱいで入学した小学校で、先生たちやたくさんのお友達に恵まれ、充実した日々を送っている。学校が大好きで、病気になっても休みたがらない。ふだんは学校に開門と同時に入れるように、朝早くお友達と誘い合って登校している。1年生までは発達相談の先生に時々会って、検査を受けたり、アドバイスをもらうこともあったが、もう必要がないということで今は通っていない。

  こう書けば、順風満帆だったように思われるかもしれないが、もちろん最初からすべてがうまくいったわけではない。発達年齢4歳半で入学したために、低学年では勉強にさんざん苦労して、毎日3時間以上は家で、それこそ涙を流しながら勉強したし、社交性の面でも自信がなかったのか、友達と呼べる子もなかなかできなかった。母親として暗澹とした気持ちになったことは数知れない。3年生ではひとりの子に陰湿ないじめも受けた(これは先生たちが迅速に対処してくれて、すぐに解決することができた)。
  ところが、そうしたハードルをひとつひとつ乗り越えるうちに、カメ姫さまが持っていた強さや明るさが、外に向けて輝きを放ち始めた。
  3年生の半ばで親友と呼べる子ができたのを皮切りに、どんどん友達も増えていった。今では、帰宅すると同時に玄関にランドセルを投げ出して、走って公園や校庭に遊びに行くのが毎日のこと。勉強はまあ得意とはいえないが、家と塾でのおさらいをまじめにやりながら、クラスの真ん中くらいの成績をとっているし、自分の考えをまとめてそれなりに作文を書いたりもできるようになった。習い事も大好きで、とくにスイミングには熱心に取り組んでいる。
  今まで積み重ねてきたひとつひとつが、カメ姫さまの自信になり、その自信が大地に根をはって、カメ姫さまを支えているのがわかる。そういう意味で、カメ姫さまは「大丈夫」になった。

  発達がゆっくりな子を育てるというのは、はたで聞いているほど楽なことではない。「のんびり構えていなさいよ」とか、「あなたが産んだ子でしょう。どんな子でも愛せるはずよ」とか、「子どもは親を産んで生まれてくる。あなたは選ばれたんだ」とか、人は色々なことを言ってくれるし、どの言葉にも一理あると思う。でも、実際は、なかなかそうは思えないものだ。みんなができることができない(その時点では)ということは、親にとっては想像以上のプレッシャーだし、言葉では言い表せないほど不安なものだ。
  たとえば言葉。早い子は1歳くらいからおしゃべりしているし、3歳を過ぎれば大人顔負けの理屈を言う子もいる。それなのに、自分の子は・・・。ああ、この子はいつかママと呼んでくれるのだろうか? いつか文章で会話をすることができるのだろうか? このときに、子育ての神様が降りてきて、「あなたのお子さんは、“ゆっくりの球根”を持って生まれてきたの。○才になったらおしゃべりするし、○才になったらこれもできるようになるわ」と教えてくれれば、ゆったり構えることもできるだろうに。

  不安なのは見通しが立たないからだ。それに、今は情報があふれるほど手に入る。インターネットで「言葉がおそい」とキーワード検索してみれば、いくらでも情報がひっかかってくる。悩んでネットの海をさまよっているうちに、いろいろな発達にかかわる問題にどんどん詳しくなる。もちろんこうした知識はとても重要なもので、早く手に入ることによって適切な対処ができることも多い。けれども、知識ばかりが先走ると、その子という“人間”が見えなくなってしまうこともある。その子はゆっくりだけれど、確実に成長し、輝く時間を積み重ねているのに、問題ばかりに目を奪われてしまう。そのせいで、子どもを純粋にかわいいと思えなくなることだってある。


■行きづまりと、気づき

 私はカメ姫さまを育てながら、いつも漠然とした不安を抱えていた。その不安の種は結局、「この子は『大丈夫』になるのだろうか」というところにあった。だから自分が一刻も早く安心したくて、カメ姫さまを「大丈夫」にしようと躍起になった。だから必死に、それこそ鬼の形相で勉強を叩き込んだ。それに、忘れ物も絶対にしないように細かく細かくフォローし、身だしなみも口うるさく注意していた。この頃の私は、カメ姫さまを「普通の子」養成ギプスに押し込んで、そこからはみ出た部分をするどくチェックし、矯正しようとしていた。いわば子育て界の“変な星一徹”のようなものだった。

  しかしカメ姫さまは、とても素直な性格をしているので、つらい気持ちがすぐ身体や行動に出てしまう。やがて、自分が受けているストレスを行動で表現するようになった。2年生のときに、悪い点数のテストを学童クラブのゴミ箱に捨てるようになり、学童の先生から連絡が入ったし、手足が痛いとしきりに訴えるようになった(お医者さんに診てもらったが、どこも悪くなく、精神的なものと言われた)。
  もともと発達年齢で見れば2歳ほど上の子たちの集団にまざって、同じことをやっていたわけで(学校の集団行動には問題はなかった)、そこで大変な努力を強いられていたことに加え、家に帰ればそこにいるのは子育て界の“変な星一徹”・・・。ううむ、今から思えばまさに地獄絵図・・・。
  どんなにつらかったことだろう。この頃のことを思い出すと、私はカメ姫さまにひれ伏して懺悔したくなる。ごめんね、ごめん、カメ姫さま。

  ところが、3年生でいじめにあったことで、私の中でなにかが大きく変わった。ネットという媒体の性質上、くわしいことは書けないが、そのいじめた子の動機は、これまでの私の努力を根本から否定するようなものだった。
  カメ姫さまを「大丈夫」にしようとして必死に努力してきたのはどうしてなのか? それは同年代の子にばかにされ、いじめのターゲットにされないようにするためだった。学校を楽しい、安全な場所と感じてほしかったからだ。それなのに、あれだけ努力しても、やっぱりいじめられてしまった。
  でも、どうだろう? カメ姫さまは私が思っていたよりずっと強く、しなやかな人間だった。そんないじめから速やかに立ち直ったし、いじめた子のことを、「あの子のことは、もうどうでもいいの。あたしはもう強くなったから」と言い切るようになった。先生たちは心からカメ姫さまのことを心配し、一致団結して守ってくれた。カメ姫さまはそんな先生たちを心から信頼し、学校を安全な場所だと思っているではないか。

  まただれかにいじめられたら、そのときはどうする? その時は、親として全力で守ってやればいい。カメ姫さまの心さえ守ることができれば、なにもこわいものなんてない。そう思ったとき、目の前がパアっと開けた気がした。勉強が苦手でもいい、着替えたパンツが後ろ前でもいい、靴が右左反対だっていいんだ。そんなことでいじめる人間のことなんか、気にする必要はない。
  そう腹をくくった私の目に映るカメ姫さまは、なんというか、面白さに満ちた生命体であった。もともとそうだったのだが、「遅れがある」という事実に乗っ取られていた目ではそれを発見することができなかったのだ。ああ、今思えばなんともったいないことを!
  まずは「遅れがある子」という認識を変えねば! 実際はもう発達的な遅れはほとんど目立たないほどに成長していたのに、自分の中では「遅れがある子」というイメージが強く根付いていて、その色眼鏡を通してしか、カメ姫さまを見ることができなくなっていたのだ。


■愛しさを味わうということ

 最初にすべきことは、このゆがんだ心の眼鏡をほかのものに変えること。
  私はカメ姫さまに敬愛をこめて「不思議ちゃん」という呼称を与え、その珍妙ながらも愛しい行動をよくよく観察するようになった。言霊という言葉があるように、愛しい呼び名を与えれば、その対象もどんどん愛しさを増していく。それまでは声を荒げて叱っていた(泣かせたこともある)靴の右左を間違える行動も珍妙で、愛しいものに思えてくる。パンツのリボンがつねに後ろに着ていることも、「ぷぷぷ・・・」と笑えるようになる。
  カメ姫さまはもともと、こういう瑣末なことはまったく気にしていない。基本的に楽しいことがたくさんある人なので、パンツの後ろ前や靴の履き違えなんか、本当にどうでもいいことだったのだ。

  この珍妙で愛らしい生物の生態を人さまにお伝えしたい! そんな欲求に突き動かされるように、私はちょっと前から「不思議ちゃん観察記録」という副題で、サイト日記をつけていた。そこで披露するカメ姫さまの珍妙な行動に対して、少数の読者のみなさんは「涙が出るほど笑った」とか「カメ姫さまは素晴らし過ぎる」といった反応を返してくれて、それが私にとって大きな励みとなり、ますます珍妙な行動の観察に熱が入った。
  賢い子、かわいい子はたくさんいるだろうけど、これほど珍妙かつラブリーな子はそういるまい。そう思うと、ものすごく得意な気持ちになり、カメ姫さまのことがますます愛しくなるのだった。
  当時のカメ姫さまはまさにネタの宝庫。輝かしいエピソードがたくさんありすぎて、書き出すとブリタニカ百科事典全10巻くらいになるので、ひとつだけ披露しよう。

  当時、カメ姫さまは学童クラブの図書室で、水木しげる先生監修の「日本妖怪大百科」と「日本妖怪地図」に夢中になり、毎日図書室で妖怪の研究に打ち込んでいた。毎日帰宅するたびに、「ママ、きんきん地方の妖怪は砂かけババアなんだよ!」などと報告してきて、母親の頭は一瞬、「きんきん地方とは・・・・? 愛川欽也の出身地なのっっ?」といった疑問でいっぱいになった。
  お習字塾に通い始めた初日には、先生に「好きな字を書いていいよ」と言われ、張り切って習字筆をにぎりしめて、めちゃくちゃな書き順で「座敷童子」と書いて堂々と提出したらしい。先生が珍獣を目撃した人のような顔で、迎えにきた私に報告してきたものだ。

  そんな輝かしいエピソードの数々を日記にアップして、読んだ人に笑ってもらうたびに、私の心はひとつずつかたくなな殻を脱ぎ捨てて、軽やかになっていった。それでも、やっぱり着替えにものすごく手間取ったり、ぼんやりする時間が長いとイライラして、怒鳴り声をあげることもしょっちゅうだったけれど。
  そこで私はまた考えた。どうしてこんなことで、これほどいらだつのだろう? これは自分が「いいお母さん」「まともな社会人」として、なんでもテキパキ、人に感心されるようなやり方でこなしたいという欲求があるせいに違いない。そこで言霊の力を再び借りることにして、この欲求を、“ダン鳥”(だんどり)と命名。すべてのことを段取って、生活をうまくまわすため天井をくるくる旋回する鳥というキャラを与えた。
  この“ダン鳥”という生き物は、目が回るほど忙しい状況が大好きで、それらをうまくこなすことに命をかけているため、絶対に思うようにならないカメ姫さまを大の苦手としている――。自分を苦しめている心の動きに、“ダン鳥”という名前を与え、擬人化したことで、カメ姫さまをいっそう愛しく思えるようになった。


■“禅マスター”と“ダン鳥”の日々

  この頃に日記にアップしたエピソードをひとつ紹介しよう(このエントリーではカメ姫さまのことを「禅マスター」と呼んでいる)。

「ギロット太郎」と「ワシ」

 朝、禅マスターと学習の行をするも、オレ自身が最近、自分の仕事に追われていっぱいなため、マスターの学習が手薄になっていた。で、今日は久しぶりに朝の行の経典、「進研ゼミ小学講座」をひらき、マスターに国語を一日分やるようにご進言する。
  マスターは国語の文章の読み取りが、大変苦手でいらっしゃる。すでに宇宙の神秘のすべてを理解しているマスターにとって、小わっぱに過ぎない人間が書いた文字の集まりなど、ちりに等しいのだと思われる。だが、ポイント還元にこだわる俗人のオレは、つねにマスターに、人間社会の文章に興味を持つようにお願いしているのであった。

  今日の文章は、どこかの児童文学から一部抜粋されたもの。はっきり登場人物を「○○さんがいました」と書いてあるわけでなく、ちょっと凝った文章になっているが、読んでいけば登場人物が「太郎」という少年と「鬼」であることが文脈から読み取れる。
  しかしマスターは文章を読んでいるうちに、忘我の瞑想に入ってしまわれたり、消しゴムのカスを鼻の穴につめるといった高度な修行に挑んだりなさっている。ほんとーにやりたくないのね~、マスター。マスターは、己の心に正直なお方だから、やりたくないことをやっていただくのは非常に難しい。で、しもべ(オレ)はマスターに、「この文章に出てくる登場人物は誰かな?」と質問した。マスターの目は泳いでいる。悠久の時を愛でるかのように。しばし文章に目を落としたマスターは、きっぱりこう言われた。「ギロット太郎!」

  あまりに想定外の回答に、すっかり取り乱すオレの中のダン鳥。ギロット太郎・・・? そ、それはジョン万次郎のよーな、米国に渡ってかぶれてしまった江戸の日本人なのっっ? 「どこにギロット太郎が?」とたずねると、人差し指でマスターが一文を指差した。そこには、「ぎろっと太郎をにらんで言いました。」と書かれているではないかっっ! うぬぅ。こ、これがギロット太郎の正体だったのかっっ!

  「カ、カメちゃん・・・『ぎろっと』っていうのは、『にらむ』とペアになるの。たとえばママは今、カメちゃんをぎろっとにらんでるでしょ!」 半分本気でマスターをにらむオレ。「とりあえず、ひとりは太郎よ。ギロット太郎じゃなくて、ただの太郎じゃけど。もう一人いるんだけど、だれかな? 文章をよく読めばわかるから!」

  再び文章に目を落としたマスターは、 天から悟りが降りてきたように顔をあげ、 こう言いお放ちになった。 「ワシ!」
  指差す先には、鬼のセリフのかぎかっこが! 「わしのひるねをじゃまするやつは、お前か」と書かれていた・・・・。こっ、これがワシなのね!

  もう朝から、ダン鳥がひきつけ起こして、失禁までするような勢いだった・・・。すっかり放心状態で会社に行ったのだが、ランチタイムにこの話を語ってきかせたら、会社の女性たちに大ウケ! 涙まで流して聞き入ってくださり、「帰ったら彼氏に話します」とか、「今日、だんなと晩酌するときに教えてやらなくちゃ」とか、とても喜んでもらえた・・・。
  さすがマスター、こうやって周囲の人々に、幸福を気前よくお与えになっていらっしゃるんですね。
  でも、しもべ、ちょっと疲れた・・・。しもべの体力も気力も限界かも、あんまりにも修行が厳しすぎて。

○“禅マスター”とは、カメ姫さまの別称である。
  朝は、ヒーターの温風に身をさらしながら瞑想にふけったり、その後は五感で衣類の存在を確かめつつ、お召し替えをなさったり、朝の行(学習タイム)では、忘我の修行に入られるなど、暮らしのあちこちで厳しい修行を実践し、「今ここ」という瞬間だけを生き切っていらっしゃるそのお姿を拝見し、この尊称をさしあげるに至った。

○“ダン鳥”とは、俗人であるしもべ(オレ)の中に、長年飼っている鳥である。
  世俗の用事をうまくこなして、生活をまわしていくために、すべてを采配し、段取る有能な鳥。しかし、杓子定規な性格であるため、想定外・常識外の出来事に弱く、ときに奇声を発して大暴れする。禅マスターとは相性が悪い。


■私のお守り

 私の心の中には、こうしてさまざまな変化が起きていた。そのあいだにも、カメ姫さまは自分らしくのびのびと成長し、人間としての味わいを深めていった。

  この頃、ある本との出会いもあった。その本とは「『わかっているのにできない』脳」というタイトルの、ダニエル・G・エイメンというアメリカの児童精神科医の書いた2冊組みの本(花風社)である。
  エイメン先生は、最新のSPECT検査と呼ばれる脳画像診断にもとづいて、子どもの行動面や発達上の問題などを、脳の働きがうまくいっていない部分があることが原因だと具体的に説明していた。こうした脳機能の不具合はだれにもあることで、その度合があまりにも激しくなると「障害」と呼ばれることがある。しかし、そこまでに至っていない「サブクリニカル(臨床的な判断が下されるほどのレベルではない)」な状態でも、いろいろな問題が起きるという。しかし、こうした脳機能の不具合をあきらめる必要はない。その人の脳の働きと人生の「質」を高めるために、できることは数え切れないほどある・・・。

  この本には、私の人間観を塗り替えるほどの力があった。カメ姫さまを育てるのが、どうしてあんなに大変だったのか。それはカメ姫さまのせいでもなければ、私のせいでもない。カメ姫さまの脳の働きには、カメ姫さまらしい特徴があって、私の脳の働きにも私ならではの特徴がある。
  人間の性格をつかさどる脳のことがわかってくると、カメ姫さまや自分自身、そして周りの人びとに対する理解も変わり、深みを増していった。行動面の問題を、脳の機能に求めるエイメン先生の視点は、実は、このサイトのテーマである抱っこ法に通じるものがあると思う。表面に出ている問題だけを見るのではなく、その背後にあるものを見きわめ、よい方向に持っていこうという考えが似ていると私は感じた。

  抱っこ法がカメ姫さまとの関係を再生するきっかけを与えてくれたように、この本をきっかけに、私とカメ姫さまとの付き合いが変わっていったと思う。カメ姫さまならではの脳が生み出す愛らしく珍妙な思考回路や、行動を「修正すべき問題」としてではなく、唯一無二のものとして慈しめるようになったのだ。
  この本に出会ったおかげで、私の子育ては大きく変り、これまでの仕事を続けるかたわら出版翻訳の勉強を開始した。いつか人の考え方を大きく変えるきっかけになるような本を翻訳してみたいと思うようになったからだ。10年後、20年後にでもいいから、とにかくやってみようと思った。

  それから色々な縁に恵まれて、ダニエル・G・エイメン博士の新しい本を翻訳するチャンスに恵まれた。それだけでも信じられないのに、その本が世の中に出ることになった。今になって自分がここにたどり着くまでの道のりを振り返ると、すべてを導いてくれたのがカメ姫さまだったことに気づく。
  つらかった思い出は、今ではみんな宝物だ。今ではパンツの後ろ前をテキパキと識別し、靴の右左も必ず合っているカメ姫さまだが、あいかわらずそこここでおいしいネタ、もとい、心温まる行動を見せてくれる。あの頃、私はどうしてあんなにつらかったのだろう。

  子育ては本当に大変だ。喜びも幸せもたくさんあるけれど、つらくて苦しいときは、その状態が永遠に続くかのように思われる。けれど、子育ては自分が生まれ変わるチャンスでもある。私はカメ姫さまのおかげで、これまで持っていた価値観の多くを見直す必要にせまられ、たくさんの思い込みを手放した。そして、カメ姫さまのおかげで、新しい人間に(少なくとも部分的には)生まれ変わることができたと思う。私は昔の自分よりも、今の自分のほうがずっと好きだ。
  これからもいろんなことで悩むし、まだまだつらいことがあると思うけれど、いままで歩いてきた道は、私のお守りだ。次に悩んだら、このお守りを心の中でにぎりしめて、よい道に進んでいけたらなあと思う。
  最後に、私によりよく生きるチャンスを与えてくれた娘に、心からお礼を言いたい。カメちゃん、ママの娘に生まれてきてくれて本当にありがとう!

(2006年12月)


「なるほど」「参考になった」という方へ
いいね!・シェア、コメントお願いします。