(4)泣き声の変化が意味するもの

 「最近の子どもの泣き方は、昔とはずいぶん違ってきた」と感じている人は、案外、多いのではないだろうか。
 嬉しいにつけ、悲しいにつけ、感情をおおらかに表現する子どもが多かった時代には、豪快に泣き声を上げる子どもを、あちこちでよく見かけたものだ。ところが最近は、少子化の影響もあるのだろうが、泣いている子どもを見かけることが少なくなってきた。それでも、たまに大声で泣いている子どもを見るが、昔ながらの「うわ~ん」という豪快な泣き声ではなく、「ギャーッ」という悲鳴のような泣き声であることが多い。
 どちらも、うるさいことには変わりはない。しかしこの泣き声の質的な違いは、子どもの成長に大きな影響があるのだ。

 「急にキレてしまう」「落ち着きがない」「根気が続かない」「友達の輪に入れない」等々、私の相談室には様々な悩みが持ち込まれる。その多くは、「子どもだから仕方がない」「そのうちなんとかなる」という限度を超え、育て方をいろいろ工夫してみても、どんどん悪循環になってしまっているケースだ。そういった「育てにくい」子どもたちは、泣き方に共通の特徴がある。
 まず、めったに泣かない子どもが多い。転んだ時、親とはぐれた時、怖いめにあった時など、ふつうこの年齢の幼児だったら泣くだろうというような場面でも、妙に平気な顔でいるのである。
 また反対に、ちょっとしたきっかけで、ギャーッと絶叫するように泣きわめき、大暴れになる子どももいる。このような子どもが泣く様子をよく見ると、妙に喉に力を入れていることがわかる。これは、泣くことを止めようとしているのだ。ギャーッという異様な泣き声になるのはそのせいで、無理に我慢しようとするから、かえって長泣きになってしまうのだ。小出しのダダこねができない子どもが、かえってひどいダダこねになってしまうのと同じメカニズムが、そこにはある。
 しかし、こういった子どもたちも、わーんと豪快に泣いたり、ふえーんと甘えるように泣けるようになってくると、ほとんど例外なく、「困った行動」や「気になる様子」が改善されていく。これはいったい、何を意味するのだろうか。

 「泣くこと」に関する学術的な研究は、日本ではあまり注目されていないようだ。海外の例では、アメリカの生化学者、ウィリアム・フレイ二世(William H. Frey II)の研究がある。それによれば、「感情の涙には、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)が含まれており、それはストレスによって分泌されたホルモンだと考えられる。つまり泣くという行為は、体内に生じたストレス物質を排出するための重要な行為である」と報告されている。(『涙―人はなぜ泣くのか』ウィリアム・フレイ二世・著、石井清子・訳、日本教文社)
 無力な子どもは、大人以上に不安や恐怖を感じやすい。それにもかかわらず、大人ほど深刻なストレス状態に陥らないのは、考えてみれば不思議なことである。その裏には、泣くことによるストレス発散のメカニズムがあり、子どもが大人よりも泣きやすいのは、そのせいなのだ。
 迷子になった子どもは、親の顔を見たとたんにワッと泣き出すが、不安な状態が去ったのだから、泣く必要はないはずだ。しかしそれは、不安な気持ちを親に訴えることにより、心に溜まったストレスを吐き出す作業をしているからなのだ。

 かつてのような「泣き上手」「ダダこね上手」の子どもが減ってきている状況は、子ども全体に、感情抑圧的な傾向が進んでいることを物語っているのではないだろうか。それが、子どもの「ストレスの抱えやすさ」「ホンネの見えにくさ」の大きな原因になっているように思えてならない。
 これは、親の育て方のせいだろうか。ところが育て方うんぬん以前に、生まれた時からすでに感情抑圧傾向をもつ赤ちゃんの相談も増えている。そのような赤ちゃんの場合、成長の基盤である「親子関係」が成立しにくくなってしまうので、事態はさらに深刻だ。


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