(6)夢と希望に満ちていた時代

 映画『ALWAYS・三丁目の夕日』の舞台となっている昭和30年代前半は、奇しくも、私の子ども時代と重なる。戦後の混乱期からようやく抜け出し、高度経済成長の前夜を迎えた時代。人々の多くは、“夢と希望の時代の到来”を肌で感じ、前進への活気に満ちていた。映画の背景に出てくる建設途上の東京タワーは、あの時代がもっていた雰囲気の象徴だった。
 白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫がまだ珍しく、今ほど便利でも裕福でもなかった時代。だが人々は、生き生きと毎日を送っていた。生活に追われてはいたが、どこかのんびりとしていて、重圧があっても「まあ、しかたがないさ」と気軽に考える心の余裕があった。そんなゆったりとした時代の空気の中で、人と人との距離は近かった。
 夢に向かって懸命に走りながらも、気持ちに余裕があったのは、“ゆるんだ生き方”と“ゆるめない生き方”との均衡が保たれていたことに、大きな要因があったのではないだろうか。

 “ゆるんだ生き方”は、たとえば、「細かいことは気にしない」というおおざっぱな生活態度である。当時は、小さなケガなら「ツバでもつけておけ」で済まされたし、風邪をひいても「早めに寝ろ」と言われるぐらいで、よほどの高熱でもない限りは、医者の世話にはならなかった。いつも青っぱなを垂らしている子どもがいても、親や先生はさほど気にしているふうではない。サッシがなく隙間が多いので、ハエや蚊が家の中に容易に入ってくるが、今ほど目くじらを立てるようなことはなかった。ケガや病気、ハエや蚊などに対する“心の広さ”は、人に対しても同じで、寛容な態度が人と人との距離を近づけたのだ。
 戦後の焼け野原からたくましく復興していった陰にも、「あしたはあしたの風が吹く」と、ものごとを深刻に受け止めない“ゆるんだ生き方”、そのことによるプラス思考がエネルギーとなっていたのだと思う。

 もっともこういったアバウトな生活観は、発展途上国の人々の暮らしぶりにも共通するものがあるだろう。東南アジアのある国を旅行した日本人は、予定の時刻を30分過ぎても列車が来ないことに苛立ち、駅員に詰め寄った。ところが、周囲にいた現地の人々は誰も騒ぐことなく、悠然と待っていることに気づき、“日本人のせっかちさ”が恥ずかしくなったという。
 しかし一方で、このような“悠然さ”が当たり前の国では、合理的・能率的な生産体制は機能しにくい。それゆえに、貧困から抜け出せないという事態も起こりうる。また、ケガや病気、ハエや蚊に対して寛容すぎると、医療や予防医学への関心が低くなり、伝染病の蔓延を招いてしまうということもありうるだろう。
 日本の社会が、そういった国と同じ道を歩まなかったのは、もちまえの勤勉さと器用さゆえ、“ゆるめない生き方”にも長けた資質をもっていたからなのだ。そういった資質を発揮し、欧米流の近代的な生産スタイルを吸収していった結果、それが高度経済成長として花開くことになる。


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