(2)「親になりすぎている」親

 女性でも、「子どもを作らない生き方」を選ぶ人が珍しくなくなってきた時代だ。それでも子どもを産み、母親になることを選択した女性たちだから、子育てに対する意識は高い人が多い。ところが、親である責任を感じすぎ、「良い母親になろう」と無理をしすぎて、深刻なストレスを溜めこんでしまうケースが増えている。
 親としての自覚が足りないのではなく、むしろ「親になりすぎている」母親たちだ。理性的に行動しようとするがあまり、どんなに疲れていても子どもの前では笑顔でいよう、腹が立っても怒らないようにしようと、自分の感情を無理に抑え込んで頑張ろうとする。ところが、溜めこみ続けたマイナス感情は、臨界点を越えると一気に吹き出てしまうのだ。これではいけないと、さらに感情を封じ込めようと頑張るので、どんどん泥沼に落ち込んでしまう。このような悪循環の末に、育児放棄や幼児虐待に至ったケースも多いのではないだろうか。

 このような母親にとって、「もっと母親らしくしなさい」「子どもを抱きしめてあげなさい」という言葉はつらい。まず先に抱きしめられるべきは、疲れ切った母親の方なのだ。周囲の人にしっかり支えられ、心を抱きしめられた母親は、必ずわが子を抱きしめることができるようになる。
 Sさんは、カウンセリングに訪れるたびに、苦しい胸の内を訴え、子どものようにおんおん泣いた。やがて、ご主人に対しても、苦しい気持ちを伝えられるようになった。すると次第に気持ちが楽になっていき、子どもにダダをこねられても、しつこく甘えられても、それほどイライラしなくなったのだ。

 Sさんほどではなくても、今の母親は、心に疲れを溜めこんでいる人が多い。
 子育て講演会で話をさせてもらった時、「頑張っているママたちへのプレゼント」として、簡単な実技をやってもらうことがある。母親同士で2人組になり、ひとりは座り、もうひとりはその後ろに立つのだ。そして後ろの人に、「前の人の肩の上を見てください。目には見えないけれども、そこに“親としての大変さ”がたくさん載っている感じでしょう? そのことを感じながら、『いつもよくやっているよ。あなたはステキなお母さんだよ』という思いを込めて、両肩にそっとふれてあげてください」とお願いする。前の人には目を閉じてもらい、ふれられている手のひらの暖かさを、じわっと感じてもらうのだ。次に後ろの人は、「よくがんばっているよ」と言いながら、前の人の頭をなでてあげる。
 このあたりまでくると、最初は照れていた母親たちも、あちらでひとり、こちらでひとりと、次々に涙を流しはじめる。人にふれてもらうと、きつく閉まっていた心の扉が開きやすくなるのだ。体験した母親たちは、「まさか、自分が泣いてしまうとは思いませんでした。自分が思っている以上に、心が疲れているのですね」と、みな一様に驚く。

 このような母親たちがいる一方で、大人としての自覚をもたない「親になりきれていない親」がいる。自分の感情のおもむくままに、勝手な行動を繰り返す親。このようなタイプの親に対しては、逆に、「親らしくしなさい」と、厳しく理性を促すことが必要なのだろう。
 テレビのドキュメンタリー番組で、「叱ってくれること」で有名な占い師の話題が取り上げられていた。「そうやってグダグダ言っていないで、やることやるのっ! もっと、がんばりなさいよ!」と、こっぴどく叱られて涙を流す女子校生は、その日が3回目の来訪だという。「親以上に親身になってくれるんです。うちの親は、叱ってくれないから」というその子の言葉に、なるほどと思った。
 子どもも、大人も、優しく受けとめてもらうことによって実力が発揮できるタイプと、厳しく迫られることによってハッと気づき、理性が働きはじめるタイプの人がいるのだ。

 「親になりきれない親」と「親になりすぎている親」の二極化。このことは、幼稚園や保育園でも、学校でも、現場の先生たちの悩みの種だという。子育て講演会を開いても、来なくても大丈夫な親ばかりが出席し、「話を聞いて反省してほしい」と思うような親は、なかなか来てくれない。「子どもの気持ちを受けとめてあげて」と配布物で呼びかけると、読んでほしい親には無視され、その一方で、過剰反応してしまう親がいる。
 政府や地方自治体が、「子育ての手引き」のような物を配布したとしても、同じような状況を招いてしまうことは想像に難くない。二極化の時代には、親全体を対象とした子育て支援策ではなく、ひとりひとりの親の個性に寄り添える、草の根的な子育て支援策が必要なのだ。

 「それにしても、今どきの母親は、なんと手間がかかることか」と嘆く人もいるだろう。身勝手な親には、「昔の母親は、もっと母親らしかった」と言いたくなるし、気にしすぎる親には、「今の若い人はひ弱すぎる。昔の母親はもっとデンと構えていたものだ」と嘆きたくなるかもしれない。
 しかし親のタイプの二極化は、若い人たちのせいではないのだ。それはいわば、前の世代の人たちが作り上げてきた、今の日本の社会状況、思考様式の変化の、当然の結果なのである。


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