(2)感情体験が果たす役割

 「聞き分けが悪く、叱ってもニヤニヤするだけで反省しない」という2歳の男の子。私が母親と話している最中に、母親のカバンを勝手に開け、中に入っていた携帯電話や手帳などを床にばらまき始めた。母親に注意されても、あいまいな笑顔のままいたずらを続けている。さらに強く叱ると、カバンを投げ飛ばして大暴れをはじめた。
 親に叱られた時、ふつう子どもは、ムッとしたり、べそをかいたり、ばつの悪そうな顔をしたりするものだ。しかし、そういったマイナス感情の表現を回避しようとする子どもは、とりあえず“笑顔の仮面”をかぶって、気持ちの動揺を悟られまいとするのだ。
 感情抑圧傾向をもつ子どもは、こわばった感じの無表情だったり、いつも不機嫌な顔だったりと表情の変化に乏しい場合もあるが、それだけだとは限らない。この例のように、「ふだんはニコニコしているが多いが、ため込んだストレスが臨界点に達すると、ひどいかんしゃくを起こす」というパターン、つまり「笑うか、怒るか」の両極端を往復するタイプの子どもも意外に多いのだ。

 少し抑圧がゆるむと、「泣く」という表現が加わる(抑圧傾向が強い子どもの場合、ほとんどは“怒り泣き”で、それは親に向けての「表現行為」というより、単なる「怒りの暴発」だ)。ふぇ~んと甘えるように泣いたり、しくしくと悲しそうに泣いたり、あるいは怖そうに泣いたりと、多様な感情表現を伴った泣きに変化してくるのだ。
 さらに自己表現が進むと、笑いについても、嬉しそうに笑う・恥ずかしそうに笑う・照れくさそうに笑うといった彩りが出てくる。「期待と不安の入りまじった表情」といったように、複数の感情が葛藤する表情も見られるようになる。甘え上手な子どもが可愛らしく感じられるのは、このように表情が豊かで、心の内が手に取るようにわかりやすいからである。
 TVなどで発展途上国の子どもを見ると、どの子にも実に生き生きとした表情をしていて驚くことがあるだろう。それは感情抑圧傾向が少なく、ホンネの感情をむきだしに表現していることによる可愛らしさなのだ。日本でも昔は、似たような素朴な雰囲気をもつ“ガキ”がたくさんいたはずだ。それに比べ、今どきの日本の子どもの表情はスマートだが、どことなく大人びていて、「子どもらしくない」と感じられることが多い。これは程度の差はあれ、子どもたち全体に感情抑圧傾向が進んできていることの表れなのだ。

 小さな子どもは、3歳前後のいわゆる反抗期の時期に、自己主張の力が強くなる。むき出しの感情を他者にぶつけることにより、自己表現の技術を高めていくのだ。もっとも、要求がすべて通るわけではない。相手から反撃を食らったり、嫌がられたりするといった失敗経験を通して、自己抑制の必要性も同時に学んでいくのだ。
 自己表現と自己抑制のバランスの取り方がうまくなってくると、少しだけわがままをしてみて、相手の出方をうかがい、「まだ大丈夫」とか「これ以上やると、怒りそうだ」と判断し、自己主張の程度を調節していけるようになる。もちろん、いつも相手の気持ちに合わせているわけにはいかず、譲歩できない切実な要求が生じることもあるだろう。そういう場合も含めて、「相手の気持ちを感じ取りながら、自己主張のバランスを考えていく」という経験を積むなかで子どもは、人とのコミュニケーション技術を身につけていくのだ。
 それは、否定的な意味での「人の顔色をうかがう」態度とは違う。その場の空気を読んだり、相手とのほどよい距離の取り方を考えていったりすることは、人間関係の基本なのだ。
 ところが、感情抑圧傾向がある子どもは、自己表現をできるだけ出さないように頑張り続け、臨界点に達すると爆発してしまうということを繰り返す。つまり、ホンネの感情が飛び出すか否かは、「我慢ができるかどうか」によるのであって、「相手がどんな気持ちでいるのか」ということとは無関係なのだ。相手の気持ちを感じ取る必要がないとすると、当然、そういった面での力が身につきにくくなってしまう。
 その影響は、中高校生の友人関係に垣間見ることができるだろう。

 今どきの中高校生を見ていると、一見スマートな人間関係のようだが、自分のホンネをしまい込み、あたりさわりのない会話に終始しているように思えてしかたがない。「喜怒哀楽の表現を繰り出し、失敗を重ねながら仲間との関係を作っていく」というやり方は、今どきの子どもたちからすると、リスクが大きすぎると感じられるのだろう。
 ホンネを表現しようとない友だちの気持ちは、読み取りにくい。たとえホンネが垣間見られたとしても、気持ちを感じ取る力自体が弱い。このような状況で、友人関係を築いていくのはとても大変なことだ。それこそ、友だちの顔色をうかがいながら、疑心暗鬼のまま行動していくしかない。「ケンカはしても、心の底では通じ合っている」と確信できた、昔の子どもの仲間関係とは大きく違うのだ。人間関係に疲れ切ってしまう子どもが増えているのも、当然なのではないだろうか。


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