(1)甘え下手で、勉強が進まない小学生

 小学校教師をやっていた経歴から、時々、小学生の勉強について相談を受けることがある。その多くは、親が教えても上手くいかない、家庭教師に頼んでもお手上げ状態という、一筋縄ではいかない子どもたちである。
 いわゆる“教育ママ”などではなく、「その子なりのペースで、分相応の学力さえついてくれれば」という考えの、きわめて常識的な親たち。できそうな程度のやさしい問題からやらせてみる。叱らないように、根気強く教えていこうとする。それにもかかわらず、2、3問ですぐにあきてしまい、悪ふざけを始める。ちょっと注意すると、すぐに怒り出す。その繰り返しだ。
 勉強が苦手なだけなら、まだ理解できる。しかし、いつも力を出し切る前に、やる気を失ってしまうのだ。「どうすれば、やる気を出してくれるのでしょうか?」という相談である。

 ある時、相談室を訪れたのは、小学2年生の子どもだった。特に引き算が苦手だという。どの程度なのか、試しに、1年生の最初に習う一桁同士の簡単な引き算をやってもらうことにした。「できそう?」と尋ねると、「だいじょうぶ。これぐらい簡単!」とやる気満々だ。鉛筆をギュッと握りしめ、息を詰めながら、3問続けて解いたが、4問目で動きが止まった。
 一桁同士の引き算とはいえ、苦手な子にとっては、微妙な難易度の差がある。4問目は、少し難易度の高い問題なので、このあたりから理解が曖昧になっているのだろう。そこで私は、「ちょっと難しいかもね。ヒントをあげようか?」と声をかけた。しかし子どもは「だいじょうぶ」と言う。ところがやがて、問題をそのままにして、筆箱の中をゴソゴソいじりだした。「やっぱり、難しい? だったら、ヒントをあげるよ」と言っても、こちらに目を向けず、筆箱をいじり続ける。なおもしつこく私が話しかけると、「もう、やらない!」と言って、プリントを投げ捨てた。
 「いつもこんな調子なんです」と、困惑顔の母親。叱ると、「どうせ僕はバカだから!」と叫び、自分の部屋に閉じこもってしまうのだという。

 昔の「できない子」はこんな感じではなかった。勉強嫌いの子どもは、出された問題に愛想良く取りかかったりしなかった。苦手な問題であれば、安易に教えてもらおうとした。「最近は、プライドが高すぎる子どもが多い」と言われるが、確かに、そういう見方もできるだろう。「できない」という自分の弱みを見せたくないし、人に助けを求めることも悔しいのだ。そこには、「泣かない赤ちゃん」や「甘えようとしない幼児」と同じような、“我慢の構図”がある。自力でやらねばならぬと無理をするからストレスが溜まり、かえって勉強への意欲を失ってしまうのだ。

 このような子どもは、“自立”を促そうとすると“孤立”に陥り、“集中力”を鍛えようとすると“過緊張”になってしまう傾向がある。こんなタイプの子に必要なのは、むしろ“依存”や“弛緩”なのだ。そこで母親に、こういった心のメカニズムを説明し、「親に甘える」ことを促すようなカウンセリング的なやりとりを優先させていくことにした。
 やがて、硬かった子どもの心がほぐれてくると、「引き算をやろう」という誘いにすぐには応じなくなり、「嫌だ」とか「難しい」とか、グズグズと不平を漏らすようになってきた。このようにダダをこねられる子どもは、心のガス抜きができ、不安が解消されやすくなるのだ。ある程度ダダをこねさせた後で、まあまあとなだめると、しぶしぶやり始める。しかし不安を無理に抱え込んでいないので、肩の力がほどほどに抜け、息を詰めている様子もない。リラックスできると、集中力が持続しやすいのだ。
 難しい問題に当たると、気軽に質問してくる。説明してやると素直に聞き、「ああ、なるほど」と、また問題に向かう。さすがにそのうち飽きてきて、ふざけ始めることもあるが、少し相手をしてやると、「さあ、やらなくっちゃ」と、自ら問題に戻っていく。このように、「依存と自立」「弛緩と集中」のリズムが整っていくと、親が家で教える時も、やりとりがうんと楽になっていった。

 新人研修で、パソコンで注文書を作成するように言われた新入社員が、何もしないで、1時間もパソコンの前に座っていた。不審に思った先輩社員が聞くと、「やり方がわからない」と言う。「そういうときは、尋ねるんだよ!」と、先輩は呆れたそうだ。
 このような状況に、「マニュアル社会のせいだ」とか、「自立できていない」とかいう声がある。しかしここにも、甘え下手の構造があるのではないだろうか。“自立”や“集中”が足りないのではなく、“孤立”と“過緊張”がゆえに、力を出し切れないでいる若者が増えている気がしてならない。


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