(7)我慢が裏目に出る構図

 横浜市金沢区で「池川クリニック」を開業する産婦人科医の池川明さんは、大勢の母親の協力を得て、子どもの「胎内体験」を研究している。その内容は、『ママのおなかをえらんできたよ。』(リヨン社)、『赤ちゃんと話そう! 生まれる前からの子育て』(学陽書房)など多くの著書で公開されているが、それによれば、母親の胎内にいた時に見聞きしたことを記憶している幼児がたくさんいるという。
 多くの母親が“胎教”に関心を寄せるのも、「お腹の中にいる赤ちゃんでも、話しかければちゃんとわかる」という考え方が広がっているからだろう。実際、「この日に生まれてきて」と、お腹の赤ちゃんにお願いしたら、希望した日に生まれてきたというような話も、いたるところで聞くようになった。
 だとすれば、生まれたばかりの赤ちゃんが、母親を気遣って、泣いたり甘えたりすることを我慢することもあり得るだろう。ただ私としては、そういう話を聞いても半信半疑だった。ところが、ある時、その考えを修正せざるをえない出来事に遭遇したのだ。

 子育て相談を始めて5年ぐらい経った頃のこと、7ヵ月の赤ちゃんのかんしゃくがひどいと相談にみえた親子がいた。私の顔を見て、赤ん坊はすぐに泣き出したが、ギャーギャーという苦しそうな泣き声で、喉に力を入れて泣くことを止めようとしているのが見てとれた。母親が気にしていたのは、産後しばらくの間、自分がうつ状態になっていたことだった。最低限の世話をする以外は、赤ん坊の顔を見る元気も出なかったそうだ。そのことで、子どもの心を傷つけてしまったのではと、母親は心配していた。
 母親がその話題にふれた時、明らかに子どものギャーギャーという声が大きくなった。やはりそうかと、肩を落とす母親。そこで私は、なにげなく、赤ん坊に語りかけてみたのだ。「ママが元気がなくて、心配だったね。それで、ずっと泣くのを我慢してくれていたんだね。でも、もう、ママは大丈夫だよ。もうママに甘えてもいいんだよ」。すると不思議なことに、赤ん坊の体の力がすっと抜け、ふぇーんという甘えた泣き声に変わったのだ。思わぬ展開に母親は驚いたが、それ以降、かんしゃくは収まり、可愛い甘え泣きが増えていったのだ。
 その後、似たようなケースに何度も遭遇した。現在では、育てにくい赤ちゃんが連れてこられた時には、母親に「甘えることを我慢してしまう赤ちゃん」の話をして、効果をあげている。最初は半信半疑の母親も、試しに赤ちゃんに語りかけてみると、明らかな反応があるので、みな一様に驚くのだ。

 「友達の輪に入っていけない」という幼稚園児の相談を受けたことがある。先生に促されても、友達に近づこうとせず、身を硬くしたまま指をしゃぶるばかり。登園時も、家に帰ってからも、指しゃぶりはどんどんエスカレートし、皮膚がふやけて血が滲むほどだという。
 生育歴を聞いていく中で、母親が断乳の時のことに触れたとたん、子どもの顔色がわずかに変わった。何か関連があるのではと詳しく話を聞こうとすると、母親は怪訝な顔で、「断乳はすんなりいったので、無関係だと思うのですが」と言う。その言葉を聞いて、子どもはさっと指をくわえた。ますます関係がありそうな気がした。
 指しゃぶりは、吹き出しそうになるマイナス感情を我慢しようとする時に見られる行動だ。断乳と入園は、どちらも「母親から離れる」という通過儀礼と言える。この子どもにとっては、“口”が、母親と別れることの寂しさの象徴になっているではないだろうか。断乳がすんなりと実行できた子どもの中には、おっぱいとの別れの寂しさを我慢して、かえってその感情を抱え込んでしまっているケースも多いのだ。
 この子どもの場合も、「おっぱいとバイバイするのは、寂しかったねえ。寂しい時は、ひとりで我慢しないで、ママのところで泣いていいんだよ」と母親が慰めると、大きな反応があった。そのような関わりを続けるうちに、登園時に泣きべそをかくようになったが、指しゃぶりは激減した。そしてほどなく、落ち着いて登園し、友達の輪にも積極的に参加するようになったのだ。
 断乳は、母親の体調が思わしくなかったための苦渋の選択だったという。「今にして思えば、私のことを気遣って、我慢していたのですね。その時は平気そうに見えたので、そんな気持ちだったとはまったく気づきませんでした。可哀想なことをしてしまいました」と母親は述懐した。

 育てにくい子どもは、赤ちゃんの頃、「妙におとなしい」か、「ギャーギャー泣いてばかり」だったというケースが案外多い。だとすれば、感情抑圧的な傾向の端緒は、実は赤ちゃんの時期から始まっていたと考えられるのではないだろうか。


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