(6)“仮面”をかぶった子どもたちの葛藤

 小学生の子どもをもつ母親から相談を受けた。2年生になって、急に家で暴れるようになったという。大騒ぎをしたあげくに、「ママを刺す!」と叫び、台所から包丁を持ち出すという出来事があった。その時は、なんとか説得して事なきを得たが、今後のことを考えると不安でしかたがないという。そこで親子で来てもらい、じっくりと話を聞くことにした。

 会ってみると、ごく普通の子どもで、ごく普通の母親だった。話を聞く限りでは、今までの育て方に、特に問題があったとは思えない。ただ、「赤ちゃんの時はおとなしく手がかからない子で、今まで反抗期らしい反抗期もなかった」という点が、少し気になった。
 学校での様子を尋ねると、「元気に頑張っている」という。ところが、その母親の言葉に、子どもの顔が一瞬こわばった。そこで、学校での状況をさらに詳しく聞こうとした時、子どもが暴れだした。そして、「ママをぶっ殺す!」と言いながら、母親に殴りかかろうとしたのだ。
 とっさに私は、子どもの手を押さえ、暴れる子どもともみあいになった。「ぶっ殺す!」と叫び続ける子どもとの取っ組み合いが、しばらく続いた。ところが、ふとしたはずみから、私の手が子どもの顔に当たった瞬間、子どもは、それまでのドスのきいた声から一転し、「ママ、ママぁーっ」と赤ん坊のような甘え声で、母親に泣きついた。そして母親にしがみついたまま、ひとしきりワァワァ泣いた後、そのままコトンと眠ってしまったのだ。

 3歳前後の反抗期の子どもは、自分の非を、「ママのバカ!」と母親のせいにしてダダをこねることがある。これは、自立への不安が自己否定に結びついてしまうことを回避するための、心理的な防衛のメカニズムだ。この子の「ママをぶっ殺す!」は、学校の活動に自信をもって参加できない「自分自身へのいらだち」の反映であることが、あとになってわかってきた。溜めこんだ末の大爆発になると、表現としてはすごいことになるが、それも「遅ればせながらのダダこね」にすぎないのだ。
 寝てしまった子どもの体をなでながら、母親は言った。「こんなふうに素直に甘えてきてくれたことは、今まで、ほとんどありませんでした。この子なりに、いろいろ我慢していたのですね」。小学生らしからぬ赤ちゃんのような泣き声は、赤ん坊の頃から「仮面」の陰で抱えていた気持ちを、やっと表現することができたからだろう。
 このことをきっかけに、この子はだんだん母親に甘えられるようになり、そして学校でいかに緊張するかを、母親に打ち明けるようになった。そのぶん、家で暴れることも少なくなっていった。
 ある日、車を運転する母親に、後ろの席から子どもが話しかけた。「ママ、こんな時にしか言えないんだけど…」と、子どもは口ごもりながら言った。「ママ、ボクを産んでくれて、アリガトウ」。その日はちょうど、その子の誕生日だったのだ。母親は、ハンドルを握ったまま涙が止まらなくなり、困ってしまったという。

 心の深い部分が明らかになってくると、「仮面」をつけてしまう子どもには、親思いの子がとても多いことに驚かされる。
 前出の、幼稚園で乱暴が止まらなかった子どもも、入園と母親の出産が重なっていた。しかし、下に兄弟が生まれた時にありがちな“赤ちゃん返り”のようなこともなく、赤ん坊を可愛がる「良いお姉ちゃん」だった。それでも、カウンセリングの中で母親が、「本当は寂しかったね。でも、ママが大変だと思って、我慢していてくれたんだよね」と慰めると、ウンと小さくうなずき、赤ちゃんのようにしくしく泣いた。
 「急にキレる」という子どもの場合も、母親が風邪で寝込んだ時など、ずっと付き添って看病しようとしたり、夫婦げんかの時は母親の味方になって、父親を叩きにいこうとするなど、とても母親思いの子だったのだ。

 この「母親思い」という性格が、「仮面」をつけてしまうことと、深く関係しているように思えてならない。
 子どもに泣かれたり、ダダをこねられたりして、喜ぶ親はいない。しつこく甘えられることも、負担に思うことが多いだろう。だからといって、ふつう子どもは、親に遠慮をしたりはしない。ところが、生まれつき感受性の高い子どもは、親の気持ちがわかりすぎ、親に負担をかけまいと、無理にホンネの気持ちをしまい込んでしまうのではないだろうか。そう考えると合点がいくケースが、長年、多くの相談を受けていると、あまりにも多いのである。それは、赤ちゃんの場合も例外ではない。


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