(5)愛させてくれない赤ちゃん

 私のもとに相談に訪れる母親は、それまでにも、周囲の人からいろいろとアドバイスを受けていることが多い。子どもの成長につまずきがあった時、まず一番に疑われるのは、親の愛情不足だ。十分甘えさせてやりさえすれば、それなりに成長していくのが子どもというものである。そのように指摘され、異を唱える母親はいないはずだ。
 子育てに悩む多くの母親は疲れ切り、子どもに心からの愛情をもてなくなってしまっている。だから「愛情不足だ」と指摘されても、返す言葉がない。

 「困った子どもなので、愛情が薄らいできてしまった」というのだったら、まだ同情の余地はある。しかし、「もともと愛情が不足していたから、子どもの育ちに問題が出てきた」という場合は、母親の責任以外の何ものでもないだろう。しかし後者のようなケースは意外に多いのだ。
 ある母親は告白する。「保育士をやっていて、もともと子どもは大好きでした。出産も心待ちにしていたのですが、なぜか、生まれてきた赤ちゃんが可愛く思えなくて…。この子が手に負えないいたずらを繰り返すのは、きっと私の愛情が足りなかったせいだと思います」。
 出産直後の母親は体調が不安定だ。同時に、精神的にも不安定になる。いわゆる「産後ブルー」(産後うつ)である。しかしほとんどの場合は、体調が回復するにつれて気持ちも落ち着いていき、子どもに対する愛情が生まれてくる。だとすればこの母親の場合は、産後ブルーによる挫折感から立ち直れなかったことが原因なのだろうか。
 ところが母親の側ではなく、赤ちゃんの方に問題がある場合がある。「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんが増えているのだ。そのようなケースでは、母親の産後ブルーが深刻化しやすい傾向がある。

 ひとつは、おとなしすぎる赤ちゃん、いわゆるサイレント・ベビーだ。おっぱいを要求する以外は、ほとんど泣くこともなく眠ってばかりいる。母親がかまってやらなくても、一人で機嫌よく遊んでいたり、母親の姿が見えなくなっても平気だったりする。最初のうちは楽でいいと思うのだが、そのうち、「子どもにとって私は、いてもいなくてもよい存在なのだろうか」と感じはじめ、空しさに襲われるようになる。赤ちゃんの世話は大変だが、自分を必要としてくれる存在だからこそ、愛おしく感じられるようになるのだ。
 もうひとつのタイプは、反対に、異常なほど母親から離れられない赤ちゃんだ。目覚めているうちは、少しでも下に置いたとたん、悲鳴のような声で泣き続けるので、絶えず抱っこかおんぶをしていなくてはならない。寝つきが悪く、やっと寝たと思っても、小さな物音ですぐに起きてしまい泣きわめく。母親は、片時も気が休まる暇がない。毎日の世話に疲れ切り、愛情が育つ余裕すらもてなくなるのだ。
 この2つのタイプの赤ちゃんは、前項でふれた「めったに泣かない子ども」「ギャーッという異様な声で泣き続ける子ども」という、幼児に見られる両極端と酷似していることに気づかれただろうか。
 母親を呼ぶ可愛らしい甘え泣きに応じ、抱き上げてあやしてやると、満足して落ち着く赤ちゃん。この繰り返しの中で、子どもに対する母親の愛情は開花していく。愛情が育つためには、赤ちゃんからの協力が必要なのだ。

 このような赤ちゃんは、抱いた時の様子にも特徴がある。
 ふつう赤ちゃんは、抱いてやると、母親に身を任せてくる。生まれて間もない赤ちゃんであっても、母親が抱く動作に対して、ごく小さな動きではあるが、それと呼応する動きをする。赤ちゃんを抱いた時に感じられる“一体感”が、母親の愛情をはぐくむのだ。
 ところが、「母親の愛情が育ちにくい」タイプの赤ちゃんは、抱いてやっても体に力が入ったままで、母親に身を任せようとしない。絶えずモゾモゾと落ち着かず、母親から目をそらすように体を反り返らせることも多い。いつまでたっても、ゆったりとした“一体感”を感じさせてくれないのだ。このような状態が続くと、それは母親の感情に微妙な影を落としていく。一緒にいても、「ここから先は母親を入れるわけにはいかない」と感じられるような心理的な壁が、子どもとの間に厳然と存在しているような感覚になるのだ。片思いが続くと、どう頑張ってみても、思いは冷めていく。

 このような赤ちゃんも、親子カウンセリングが進み、もつれていた糸がほぐれてくると、可愛らしい甘え泣きが増え、ゆったりと抱っこをさせてくれるようになる。抱きしめたわが子の、ぴったりとした感触を味わいながら、「こんなの、初めてです」と涙ぐむ母親も少なくない。

 このように、育て方のいかんを越えて見られる、子どもたちの感情抑圧的な傾向の裏には、どのような心理的なメカニズムが存在するのだろうか。


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