◆スイミン地獄だった頃

小学校教師時代、ストレスいっぱいで、アップアップしながら過ごしていた時期。絶不調になるときのパターンは、だいたい決まっていました。朝、いつも通りの時間に起きられず、「あと10分、あと5分・・・」と、目覚まし時計を何度もセットし直しながら、布団の中でウトウトし続けてしまうのです。「こんなことをしていては、ダメだ・・・いや、もう少しなら大丈夫・・・」「このまま寝続けたら、無断欠勤。クビになってしまう・・・。電話して、休みをもらおうか・・・」「でも、子どもたちが待っているので、そうはいかない・・・。起きなきゃ」「ああ、ダメだ。1時間だけ、休みをもらおうか・・・でも、なんていう理由にしようか」・・・ウトウトしながらも、心の中ではこんなカットウが続くのです。
起きられない最大の理由は、「今日一日、うまくやっていけないかもしれない」という不安でした。「ベターの教師」ではなく「ベストの教師」にならなくっちゃ!というプレッシャーが(誰もそんなこと、言わないのですが)、重くのしかかっていました。一番調子の悪いときは、お休みをとって、1日ゆっくり寝たにもかかわらず、翌朝また、カットウになり、また休みをとって・・・という感じでした。
 「ストレス過多による不眠症」というのはよく聞く話ですが、私の場合は、正反対の「過眠症」。でも、「両極端は、本質的には同じ」と言いますからね。

比較的調子が良い時も、朝起きて一番にやることは、睡眠時間の計算でした。
8時間がベスト。短いと、「いけない! 睡眠不足で、頭がボンヤリしている。こんな調子で、今日1日、ちゃんと仕事をこなしていけるだろうか・・・と心配になるのです。長いと、「しまった、寝すぎだ! 時間をムダにしてしまった!」と後悔。ピッタリ8時間でも、「おかしい! ちゃんと寝ているはずなのに、どうしてスッキリしないんだ!」と、不安感につきまとわれる…。
今考えると笑い話ですが、当時は、毎朝毎朝、こんなふうに真剣に悩み、朝から自分を責め、1日のスタートを気重なものにしていました。

「少しでも時間があったら、授業の研究・準備をたくさんして、子どもたちに喜んでもらいたい」…いつもいつも、そんなふうに考えていました。だから、毎日、夕食を食べている最中から、「この食事が終わったら、寝るまでに○時間あるから、まずあれをして、それからこれをして…」などと考えていたのです。
ところが、いつも食事が終わると、猛烈な睡魔が襲ってきて…。「これでは、いけない! それでは、まず、1時間ほど仮眠をとって…」と横になると、ついそのまま、朝まで眠りこけてしまうのです。朝、目覚めて、「しまった! なんにも、今日の準備ができていない!」と、みじめな気持ちでした。
「理想的な教育をするためには、あれもやらなくちゃ、これもやらなくちゃ」と、次々とアイデアは湧くのですが、「やるべきこと」が山積みになればなるほど、睡魔が襲ってくるのです。そんな自分を何とかしようと、『短時間睡眠法』といったたぐいの本を買ってきて、いろいろ試したりしていましたが、一向によくなりませんでした。

自分自身のためのカウンセリングの時間をもち、自分の抱え込んでいる感情に目を向けはじめてから、ある時、「スイミン地獄」の根っこに、気づきました。小さい時よく言われた、母親の言葉を思い出したのです。「あんたは、寝不足になると、すぐに病気になるんだから!」。心の奥にインプットされていたこの言葉が、私を縛っていたのでした。
私が熱を出したりすると、「ほれ見なさい! 夕べ、おふろ上がりにウロウロしていたから、湯冷めしたんだよ!」と、責めるような口調で言われたこと、「小さい子どもの病気は、親の責任」と、母親がつぶやいていたことも思い出しました。「病気にさせてしまったダメな母親」という自分を責める気持ちが、子どもを責める気持ちへと転化されてしまっていたのでしょう。心配症な母親でしたから、子育ての不安と、親としての責任が、重くのしかかっていたのでしょうね。
どんなに注意していたって、病気になることはあります。誰の責任でもありません。ちょっと熱が出るぐらいの病気は、成長の過程で必要なことなのかもしれません。何日か休んでいれば、自然治癒力が働いていくものです。むしろ、「病気になるかもしれない」「病気になってはいけない」という不安感情の方が、私たちを振り回す可能性がありそうです(もちろん、最低限の注意や配慮は必要ですが)。

「トラウマチェーン」という言葉があります。同じような不安感情が、親から子へと、さらにそのまた子へと、代々受け継がれていくという考え方です。「スイミン地獄」をめぐる不安感情は、母親から受け取った「不安のバトン」だったようです。
私にとって幸運だったのは、母親から言われていた言葉を思い出したとき、「ああ、これが根っこだったんだ。なあんだ、そういうことだったのか!」と、ナゾが解けてすっきり気持ちになったことです。その時、母親へのうらみ・つらみで終わっていたとしたら、もっとやかいな、新たな「怒りの感情」(とらわれ)を抱え込んでしまっていましたから。
「トラウマチェーン」は、大きな気づきのチャンスといわれています。私の場合も、長年「スイミン地獄」に苦しんできたぶん、ナゾが解けてからの数年というもの、「眠る」ということに関して、いろいろ気づくことが多くなってきました。


「なるほど」「参考になった」という方へ
いいね!・シェア、コメントお願いします。