◆「人生の曲がり角」を結んだ線

必死にがんばった大学浪人時代。でも、合格がほぼ確実視されていた国立大に、まさかの不合格。1校だけ受かった私大に、失意のうちに通い始めた。
・・・しかし、そこに行ったからこそ出会いがあり、自分の進むべき道が見つかった。小学校の教師になって、子どもたちが生き生きと活躍できる教育をしていこう!と、夢はふくらんだ。

自分の天職と感じた教師の仕事。夢中になって、授業の研究や準備に明け暮れた。でも、5年、10年と経つと、理想とする教師像と現実のギャップに苦しむように。このままではストレスに押しつぶされてしまうと思い、やむにやまれず退職。夢は終わった。
・・・しかし、教師を辞めたからこそ、苦しむ親子の立ち直りを応援する、今の仕事と出会うことができた。

子育て相談をしながらも、わが子のことで、いろいろ心配が絶えなかった。友達との関わりが下手だった娘。学校から帰ってくると、家に閉じこもったままだった。「友達に暴言を吐く」ということで、学校から連絡を受け、相手の両親に頭を下げに行ったことも。中学校入学直前も、情緒不安定になり、拒食症になりかかった。
・・・しかし、スムーズな子育てではなかったからこそ、子育てに悩む親の気持ちは、人ごとではない。

自分自身、子どもの頃から、周りから浮いている自分を感じていた。周りの人に溶け込もうと努力してきたが、ここは自分の居場所ではないと、いつも思っていた。些細なことも気にしてしまう自分の性格がイヤだった。
・・・しかし、だからこそ、傷つきやすい心をもった子どもやお母さんが、自己否定に向かってしまう苦しさに共感できる。

その時は、「失敗した!」と悔やみ、「自分は何でこうなんだろう」と悩んでいたことも、実は、すべて必要なことだったのだ。いま、後ろを振り向いてみると、「人生の曲がり角」を結んだ線は、私が今立っているこの場所を、ちゃんと指し示していたのだ。
とは言え、身の回りの様々なことを、すぐに悩みや後悔のネタにしてしまうこの「才能」は、まだまだ消えそうにない。

人は死ぬと、自分が歩んできた一生を、パノラマ絵巻のように見ることができるという。その時こそ、「悩みも、つまずきも、失敗も、なあんだ、全部、予定通りだったんだ!」と、大笑いすることだろう。


「なるほど」「参考になった」という方へ
いいね!・シェア、コメントお願いします。