◆「ごめんなさい」の向こうにあるもの
孤立感にとりつかれるとき、私たちは本来の自分を見失ってしまいます。「ひとりぼっちじゃないんだ。ちゃんと、みんなと繋がっている」と実感できるとき、元気が湧いてきます。
ところが、人とうまくやっていきたいという努力のウラに、「人とうまくやっていけないかもしれない」という不安が隠れていることがあります。
たとえば、人に失礼がないように使う、敬語や丁寧語。時と場合をわきまえず、いつも「タメぐち」というのも困ります。しかし、どんなときでも敬語や丁寧語を多用してしまう人は、ひょっとしたら、「人に嫌われないだろうか・・・」という不安を抱えているかもしれません。そんな人の場合、「安心感のもてる相手なら、なるべく敬語・丁寧語を使わない」というチャレンジも、おもしろいでしょう。
必要以上の丁寧さは、自分を守るガードのようなものですので、最初はちょっと勇気がいるかもしれません。でも、タメぐちでしゃべりあえる時に感じられる「親密さ」は、きっとステキな体験になることでしょう。
「ごめんなさい」についても、同じようなことが言えます。謝ることは、時として必要な行為ですが、人が過度な「ごめんなさい」リピーターになる時、そのウラには、いろいろな不安が隠れていることがあります。「自分は、いつも人を傷つけてきた」という不安、「人に拒否されるかもしれない」という不安、「いつだって自分の気持ちは、相手にちゃんと伝わらない」という不安、などなど・・・。
特に、このようなパターンに陥っている人同士が出会うと、「私がいけなかったんです・・・」「いえ、私の方こそ、配慮が足りなくって・・・」という「ゴメンナサイ」合戦が始まります。こうなると、お互い、自分自身の自己肯定感を低めあうだけで、双方にとって後味の悪い結果に終わってしまいます。どちらも悪くないのに・・・。
必要以上の「ごめんなさい」を言わないというチャレンジは、お互いが一歩近づいていくためのワークのようなものですね。
「違う個性」で紹介したご夫婦は、お二人とも学校の先生でした。
修学旅行から帰ってきたお子さんの楽しそうな表情を見て、一安心したのですが・・・。あとで、担任の先生がこっそり教えてくれた話によると、出発の朝、学校でも、ひともんちゃくあったらしいのです。いよいよバスに乗り込む時になって、Kちゃんは、また固まってしまったとか。それで、校長先生の車(緊急時のために、校長先生は、自家用車を運転して行った)に誘ってもらい、その車で行ったのです。車内で、いろいろ校長先生と話しているうちに心がなごみ、トイレ休憩のパーキングエリアで、やっとバスの方へ移れたそうです。
そんな話、Kちゃんから一言も聞いていなかったご夫婦は、びっくりしました。職業柄、つい先生の立場を考えてしまうパパママ。今までだったら、「もう! 先生にそんな迷惑をかけて!」「校長先生のところに、謝りに行かなきゃ・・・」と思ってしまったところ。しかし、なぜかその時は、素直に、「ありがたいなあ。子どもって、こうやって、いろいろな人に助けてもらいながら、育っていくんだなあ」という気持ちが湧いてきて、胸がじーんとなったそうです。
わが子との関係が悪循環になり、子育ての元気を失いかけて相談室を訪れた、Sさん。いろいろお聞きしていくと、お父さんとのことが、何かにつけ思い出され、そのことが心の重荷になっていることを自覚するのだとか。
Sさんが結婚後暮らしている場所と、Sさんの実家は、日本列島の正反対の端と端。お子さんに障害があり、その療育に明け暮れる毎日でしたが、その間に、Sさんのお父さんは入院。末期ガンだったのです。しかし、子育てのことだけで精一杯、大変そうだと考えたSさんのお母さんは、娘にそのことを知らせませんでした。大好きだったお父さんの死に目にも会いそこなったSさんは、それ以来、自責の念にかられるようになったそうです。「お母さんはひどい!」「大好きなお父さんの、一番苦しい時にそばにいてあげられなかった・・・」「私が悩んでばかりいたから・・・」「この子がこんなだから・・・」「そもそも、気の進まない結婚なんかしなければ・・・」 どんどん悪い方に考えが行き、落ち込む毎日だそうです。
そんなSさんに、「お父さんと会って、話をしてみる」という想像上のワークをしてもらいました。お父さんが、今、目の前に座っていると想像するだけで、次々と涙があふれてきます。「お父さんに、何と言いたい?」と聞くと、「ゴメンナサイ」でした。「ゴメンナサイって、いっぱい言っていいよ」と言うと、何度もゴメンナサイをつぶやいていました。どんどん、苦しい涙の中に崩れていくようなSさん。
そのとき私は、やっと気づきました。Sさんが、お父さんに本当に伝えたい気持ちは、別にあるんじゃないか?
「怒っても怒っても、怒りが収まらない」と言うようなときは、怒りのウラに別の感情が隠れているものです。「ゴメンナサイ」の場合も、同じようなことがあります。人は、自分の本当に気づき、表現できないとき、なかなか落ち着けないのです。
そこで私は、「ゴメンナサイの次は?」と尋ねました。その言葉にハッとしたSさん、思わず、「ありがとう!」と叫びました。そして、「ああ、私は、本当は、お父さんに“ありがとう”と言いたかったんですね」と言ったSさんの目からは、また涙があふれ出しました。でもそれは、先ほどと違う、暖かい感じの涙だったのです。
「ごめんなさい」といくら言い続けても、しっくりこないとき、本当に伝えたいのは、「ありがとう」という言葉なのかもしれませんね。
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